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『歴史評論』編集長つぶやきブログ(編集後記より)

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『歴評』には『歴評』の…

先月号に「歴女」のことを書いたんですが、なんで「歴女」が気になるかというと、やっぱり売り込みたいからですよ。何をかって、もちろん『歴史評論』を、それから歴史学そのものを
ただねえ。売り込み方がむずかしい。「歴女」のおっかけにそのまま便乗するわけはいかないでしょう。決してお高くとまるわけではないけれども、『歴評』には『歴評』のポリシーがあるんだから
もっと現実的な問題で言うと、人気に合わせて企画を立てても、刊行するころには人気が終わっているかもしれない。やっぱり『歴評』というか学会誌で即効的な企画はむずかしいです
でもバックナンバーがある。今月で716号を数えるバックナンバーの中には、今の人気に応えるものもあります。何も人気に合わせて企画を立てなくても、人気に応えられるものを在庫の中から提供すればいいわけですね
その回路を作る必要があるけれども、逆に今後の企画については、時流にぶれずに従来の研究史の蓄積の上に、必要と思われる企画を蓄積していけばいいんじゃないか。
この欄を書き始めて二巡目を終えたところでの感想です。

(事務のHです。しばらく更新が遅れまして、申し訳ありませんでした。11月14・15日に歴科協大会がありまして、この間その準備でてんてこまいでした。大会に来て下さった皆様、ありがとうございました。今回のつぶやきは、就任3年目をむかえた編集長の静かな決意表明でした。『歴評』は、今年で創立43年です。過去700本近くの特集が組まれてきたわけですもんね。必ずお探しの特集が見つかると思います。ホームページにこれまでのバックナンバーの目次を掲載していますので、是非一度お立ち寄りくださいませ。 → http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekihyo/ )
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「歴女」とは。

「歴女」って言うんですって?歴史好きな女性のことを。
じゃあ男性のことは?あんまり聞かないですね。
歴史を愛好する人たちというのは、男女を問わず今までもいたわけですが、たぶんそれとは違う人たち、今までおよそ歴史とは縁遠かった人たちが熱中するから、注目されるんでしょうね。

歴史をおもちゃにするというか、歴史を借りてアイドルを創り出しちゃうのが「歴女」なんじゃないかなあ。人気ナンバーワンの幸村サマなんて、史実の真田信繁とは似ても似つかない
史実にとらわれずに創り出されたアイドルではあるんだけれども、まったく架空のキャラではなくて、一応対応する人物が実在しゆかりの地があることで、遊びの幅が広がるということなんですね。

もっともアイドルイメージは歴女が創り出すというよりゲーム産業の商品。
そして史実から自由であるようでいて、案外に古い通念に縛られている。武田信玄の風貌は相変わらず例のでっぷり肥ったイメージ。原画は能登畠山氏のものではないかという異説が出されているものですね。
せっかくの研究成果が反映されていないなあ
いや異説の存在を知ってはいても、あえて通俗イメージに乗っているのかもしれませんね。

(事務のHです。確かにアイドルのおっかけみたいな熱狂ぶりですよね。 以前に、某テレビ局の時代劇ドラマで、ある人気歌手が上杉謙信を演じていましたね。その時は、 「こんな顔の武将いるわけない~!」と違和感を憶えましたが、その方の人気が影響してか、歴女には上杉謙信ファンも多いのだとか。情報通な編集委員Tさんの話では、古文書学も一部の乙女たちの間で注目を集めているそうです。きっかけは何であっても、本当に読めるようになったらすごいですよね!)

戦争の「文化」

 お台場に立つ実物大のガンダム、私も見ましたよ。
沖合の船から遠目に見ただけですけど、でかいなあ、あれがうわさのガンダムかって思いました。もっとも『機動戦士ガンダム』がどんな話かって、全然知らないんですよ。北條さん(本誌頁を見てね)がガンダムに夢中の頃、私はもう大人でした。
でも北條さんより一回り上の私も、同じように、戦争ものの玩具や図鑑やテレビに夢中になっていた子供時代があり、それを批判的に回顧する年頃になって、自分の子供時代の環境がずいぶん反動的であったことを不思議に思った経験があります。
私は自分の成長と並行して世の中が良くなっていたんだと思ってきましたが、一回り下の北條さんが同じ経験をしているということだと、どうもそうではないようですね。
平和と民主主義の価値が定着する一方で、戦争の「文化」も生き残り続け、子供たちを魅了しつづけてきた。しかし子供たちが戦争ものに熱中するのがいけないというのではなく、成長とともにそれを卒業していくことのほうが大切なんじゃないかな。これはいろいろ意見の分かれるところでしょうね。
私も自分の狭い経験に固執するつもりはなく、みなさんのご意見を伺いたいと思います。


★事務のHです。お台場のガンダム、私は見損なってしまいました。でも実は私も『ガンダム』がどんなお話なのか知りません。以前、ある歴史研究者の方に聞いたところ、宇宙での植民地主義のお話だそうな・・・(本当ですか?)。単純な善悪対決ではないところが良いという人もいました。『マンガ日本昔ばなし』を観て育った私にとっては、まるで正反対のジャンルのように思え、非常に気になるところです

皆既日蝕

7月22日、寧波の南方、奉化渓口の雪竇山資聖禅寺で皆既日蝕を体験しました
皆既日蝕の間って、その前後と全然違うんですね。少しでも隠れていない部分があると、相当明るいし、デジカメで撮影しても、確かに写るのですが、欠けている部分がなくて丸く写っています。
皆既になる寸前、ダイヤモンドが二つきらめいたかのように見えて、それから金環蝕になりました。その少し前から風が吹きはじめ空気がひんやりしてきます。
言い忘れましたが、寧波は相当暑くて、気温も四十度越えたとか言うし、その上蒸すんですよ。ところが皆既日蝕の間はひんやりです。あたりも相当暗くなりますから、日蝕に興味がなくて空を見上げていない人も、皆既日蝕の五分ほどの間はみんな日蝕を体験したはずです。
日蝕体験というのは、目で見るだけのことではなくて、体全体で感じるもの、したがってその場にいるすべての人が体験することなんだなあと思いました。太陽が隠れあたりが暗くなるというのは、やはり怖いですよ。このまま太陽が出てこないのではないかと、まさか本気で考えたわけではありませんが、ちらっとそんな心境がわかるような気がしました。なんでも実体験することって大切ですね。   

(事務のHです。皆さんは、日蝕をご覧になりましたか?私はちょうど出勤途中で外を歩いていたので、ちょっと立ち止まって、木漏れ日をじーっと見てみたのですが(木漏れ日が日蝕の形になると朝のニュースで聞いたので)、残念ながらよくわかりませんでした。都内でも観測できた方もいたみたいですね。編集長は、中国でご覧になったとのこと、うーん、実に羨ましい・・・。)
 

ご意見お待ちしております。


同業他誌の中には英文目次や英文要旨をつけているのがありますよね。本誌でもそうするかって話題がちらっと出たことがありました。別に反対じゃないんですが、手間をかけるわりに効果はどうなんでしょうか?
実は本誌の場合、原文が外国語の原稿がそこそこあるんですよ。それを翻訳して掲載しているわけですが、翻訳ですから、原文のニュアンスが伝わらないこともありますよね。それならいっそ、原文も載せてしまえばいいんじゃないかって思うんですが、いかがでしょうか
う~ん、そんなスペースどこにあるんだって、編集幹事に叱られそうだな…でも、みなさんのご意見いただけますか?ええっと、この編集後記、ブログ版があることはご存知だと思いますが、そこにコメントつけてくだされば結構です

そういえば、このブログ版、編集後記にはない番外編もあるんですね。この間のぞいたら、事務局のHさんが書いてくれていました。で、コメントが二つもついている。う~ん、Hさん人気だな。で、コメントつけると、Hさんのリプライがあるみたいですよ。そちらものぞいてみてくださいね。ヤフーでもグーグルでも「歴史評論」で検索かけてくださればみつかります。

(事務のHです。編集後記でブログを紹介していただき、ありがとうございます。 ブログへのコメント、とっても励みになります。編集に関するご意見、こんな イベントを企画してほしい!などなど、皆様の声をお聞かせください。
 お待ちしております。事務H)       
 

病気の歴史

新型インフルエンザが問題になっていますね
先日、テレビを見ていたら、新型インフルエンザ問題にひっかけて、感染症の歴史を特集していました
感染症というのは、細菌やヴィルスが人間の体内に入り込んで障害を引き起こすものですが、細菌やヴィルスもれっきとした生命体で、生命体としては人間と対等(なんてことは番組では言ってなかった。ここは私の解釈です)。
人間が開発によって今まで接触していなかった未知の生命体と接触し、その相性が悪い(この表現も私のもの)ことによって新たな病気が発生するというコメントがあって、なるほどと思いました。
感染症というのは太古から現代まで変わらずにあるわけではなく、人間と環境との関係に規定されて、それ自体の歴史を持っているわけですね。それを研究するのは医学の知識が必要で、一般歴史家の手には負えないし、逆に臨床医学のほうは病気の歴史にまで関心を寄せる余裕がないかもしれないけれども、結構重要な研究課題なんじゃないでしょうか。
自分たちが主体になることはできないけれども、そういう研究課題があることを提起し、この研究を進めるのに必要な史料を読むお手伝いぐらいできればいいなあと思いました


(事務のHです。インフルエンザ、会員の皆様は大丈夫でしょうか?報道も少し落ち着いて、最初のパニック状態からはクールダウンしたように思いますが、引き続き予防に気をつけたいですね。病気や医療の歴史、重たいテーマですが、大事な研究分野なのでしょうね。一方で、もしあの人物が病気になっていなければ、歴史も変わっていた・・・?なんて考えてみたり。・・・これ以上は話がとんでもなく飛躍しそうなので、この辺でやめておきます)   

歴史は夜作られる…?

みなさん、連休はいかがお過ごしでしたか?
連休終わっちゃったって意気消沈しているあなた、今年はもう一回楽しみがあります。
九月に五連休があるんですね

でも最近は、祝日といえども開講日に設定する大学が出てきました。そうしないと、授業の回数を確保できないというわけです。私もそういう大学に出講していて、昨年も今年も当たってしまいましたよ。
以前は、出講日が祝日に当たると、やったぜと思ったのに、それがまた開講日に充てられてしまうと、最初から祝日に当たっていなかったよりもさらにがっかりです。やる気失せますよねえ。こういうことでいい授業できるのかな?
そもそも授業の回数って、そんなにしてまで守らなければいけないのかな。多くのすぐれた研究者を育てあげたさる大先生の授業は年間三回で、あとは夜池袋に集合だったけどな。歴史は夜作られる…というのは別の意味ですが、授業の回数で人間が育つわけじゃないですよね。
年間の授業時数の基準を作ることまで反対はしませんが、国民の祝日は法律で決まっているんだから、きちんと休むことで授業をしたことにしてほしいなあ
で、お前は本当に授業したのかって?そういうことは聞かないでおきましょうよ。  

〈事務のHです。ゴールデンウィークも終わってしまいましたね。私も編集長の意見に賛成です。やはり祝日は休まなくっちゃ!ですよね。私はゴールデンウィークはゆっくりお休みをいただきました。リフレッシュして また頑張っていきます!) 

 



 

新年度

新しい年度の始まりですね。といって、この原稿を書いているのは年度末。旧年度の仕事が終わりません
いやいや年度内に仕事が終わらず、自分の暦だけ閏三月があるのが恒例になってしまっています。いつの間にか桜が散っていて、新年度の仕事も否応なく始まり、終わっていない堆積した仕事がなし崩しに融合していく…他人事じゃないでしょう。お互い季節感をもって仕事をしていきたいものですね。
『歴評』の特集企画にも季節を考えるべきかな?でもなかなかそううまくいきません。フランス革命の特集について委員会で検討していたら、フランス革命は七月号じゃないかって意見が出ました。フランス革命は十年間年がら年中やってたんじゃないのってかわしましたが、待てよ、そうでもないのかな?革命にも季節性がありますか?
さて、『歴評』の季節性といえば、「特集にあたって」を彩る月の花のイラストです。これは亜細亜印刷で『歴評』の組版を担当してくださっているお二人のうちのお一人が、毎月描いてくださっているオリジナルです。先月号からは花の名前を入れていただいています。さて今月は何の花でしょうか?『歴評』が届いたら、まず一頁を開いて、季節感を味わってくださいね

(事務のHです。すっかり桜も散ってしまいましたが、新緑の映える気持ちの良い陽気になりました。編集長は、新年度のお仕事に追われて、とっても忙しそう・・・!一方、歴史科学協議会の年度は9月〆なので、事務のわたしにとっては、一年で一番落ち着いた季節です。けれど、年度に関係なく、春は何か新しいことを始めてみたくなる季節ですよね。その「何か」が見つからない・・・なんていう方は、是非、新年度にあたり『歴史評論』の購読を始めてみていはいかがでしょうか?いつでもご連絡お待ちしておりまーす。)

ドーネーション(寄付)

少し前のことになりますが、アメリカの友人の子供が生まれてすぐに原因不明で亡くなりました。共通の友人が、子供の難病研究を支援する機関に寄付をしたいと言いました。弔意を示すという以上に、なにもできないのがもどかしい、なんとかしたいという気持を形にしたいということだったと思います
寄付というのは、寄付を受ける側以上に寄付をする側の気持が大切なんですね。ス
タンフォード大学は、一人息子を亡くしたスタンフォードさんの寄付で設立された。ハーバード大学のワイドナー図書館は、×××号で息子を溺死させてしまったワイドナーさんの寄付で建設された。
アジア研究で有名なハーバード燕京研究所は、アルミニウムで大もうけした大富豪が、異性との間に子供をもうける替わりに行った寄付によって設立された。

このほど一般財団法人として出発した歴科協に対しても、短期間に多くの方々から寄付が寄せられています。そのお一人お一人に寄付を行う思いがあるのだと思います。その思いをしっかり受け止めていくことを、肝に銘じたいと思います。
ところで先月紹介したブログの方ですが、Hさんのコメントが加わるようになりました。そちらも覗いてみてくださいね


(事務のHです。今回は、寄付についてのつぶやきでした。寄付行為には、強い思いがこめられているんですね。歴科協へも本当にたくさんの方から暖かいご支援をいただきました。心よりお礼申し上げます。ちなみに、上の「×××号」は、ある有名な船の名前なのですが、お判りになりましたか?気になる方は、『歴史評論』最新号(708号)の編集後記をチェックしてみてくださいね。)
 

ブログ

編集長ブログが始まりました
いやあ、そもそも歴史評論のホームページがあるってご存知でした

学会のホームページは結構ありますが、全然更新されていないところもあります。
そのなかで歴科協と歴史評論のホームページはいたって優秀
情報量が多いし、常に最新の情報に更新されています。
バックナンバーの中身もすべてわかり、メールや電話での注文も受け付けています。
かなり使えるページじゃないかな。

これは一重に事務局書記のH・Sさんの努力に負っています。
編集長ブログだって、僕は生来のものぐさですから、編集後記をHさんが加工して載せてくれているんです。

でもちょっと違うところもあります。
ブログのほうには絵文字が入っているけれども、ああいうセンスは僕にはないし…
それとね、編集後記では僕は結構実名を載せているけど、ブログでは全部イニシャルに置き換えられています。
ネットは不特定多数を相手にしているから、そういう配慮も必要なんですね。
で、ブログでこれを読んでいるみなさん、Hさんって誰だろうって思うでしょう。
知りたかったら定期購読してくださいね
そうそう、ブログは題名が必要なんだって。
今回は「ブログ」でしょうね。    


(事務のHです。みなさまのご入会をお待ちしております。)    

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