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。さて、『歴史評論』は毎号が特集号なのですが、もちろん全ページが特集記事というわけではありません。おおまかですが、特集記事が70ページ、その他が40ページという構成です。その他には投稿論考とか書評・紹介がもちろん入りますが、 「歴史のひろば」 「歴史の眼」 「文化の窓」 「科学運動通信」 「最近考えていること」などの記事もあり、基本的には依頼して書いていただいています。「歴史の眼」
は時事的な問題を取り上げるコーナーですが、この特集号に載ったらいいのになと思ってもなかなかうまくいかない。今月号掲載の岡本厚さんの「歴史の眼」は、7月号の「安保特集」に載ればよかったのですが、確か岡本さんにお願いした時には、7月号はすでに制作工程に入っていたんじゃないかと思います。
。いや「編集後記」はどうでもいいですけど。ちなみに岡本さんは雑誌『世界』の編集長を務めておられる方です
。
!?4500円ずつ分納してもOKです。特集以外にも力入れてますので、是非ご購読ください。ご入会をお待ちしておりま~す
。お申し込みはこちらまで rekihyo@mx10.ttcn.ne.jp )
。編集後記を書く時には、皆様のお手元に届く頃、この話題まだ有効かなあということをいつも考えるのですが、私が書いている今も暑いし、皆様が読まれる頃も暑いんでしょうね
。
なんじゃなかったでしたっけ
?

。皆様、どうぞご自愛くださいね。ところで。鹿島神宮の要石を知らなかった恥ずかしい人がここに一人…。なになに、「要石が地底で地震を起こす大なまずの頭をおさえているから、鹿島一体では大きな地震は起きない。頭は鹿島神宮の要石が、尻尾は香取神宮(千葉県)の要石が押さえている」(以上慌ててネット検索)。え!香取神宮には行ったことがあるのに~。一体何をみてきたんでしょうね…。)
。紙媒体でなくてもいいのだけど、今までと同じ会員が同じ会費を払ってくれるかどうかが問題です。そうでないと、電子媒体だって維持できない。そうなると会員であることのメリットが何かですよねえ。普通は投稿の権利ということで、歴評だってそうなんですけど、毎号が特集号の歴評なら、もう少し工夫が欲しい。特集企画そのものを募集しましょうか
。もちろん投稿と同じように企画についての審査が必要ですが。科研とかでの共同研究の成果を分厚い報告書にまとめるのもいいけど、学会誌に掲載したほうがより広く、安定的に読まれます。そもそも分厚い報告書を作成する義務がなくなりましたから、研究成果の還元の仕方については、実質的な方法を考えるべきですよね。学会誌という枠で審査を通したものを世の中に出していくことは、学術の水準を維持するのに必要だと思います。また歴評のような特集企画は個別の投稿とは別の成果物を生み出します
。どうですか。あなたも一日編集長、いや一日というわけにはいかないので、一号編集長をやってみませんか
。
。)
や一九七五年のサイゴン陥落、一九八九年のベルリンの壁崩壊や一九九一年のソ連崩壊はその時点で大事件だと認識し、自分の精神史にも大きな意味を持っているけれども、直接にかを経験したわけではありません。
の終了後、駐車場の車を取りに行く途中で巻き込まれて動けなくなったというだけ。そもそもその群衆が何だったかその時点で認識していたかどうか。市長室にはウェディングケーキが用意されていて、カップルは市長から祝福を受けたなんて話が記憶の中にあるけど、もちろん自分でそれを見たわけではない。たぶん翌日の新聞で読んだんだと思います。
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になるって仕組みです。ところが四時以降はだめ
とか、特別な検査があったらだめとか、ずいぶん制限がありました。そのうち改善されるかと思っていたら、逆に今年度から使えなくなっちゃった
。なんでもカルテを電子化したから使えなくなったというのですが、全然訳がわからない。逆じゃないですかね。説明がなっていないから推測で書くしかないのですが、要はあるシステムの変更に別のシステムが対応していないってことでしょう。システムの全体を見ていないからそういうことになるんじゃないですかねえ
。いやもうひとつ
。アウトソーシングの破綻だと思います。個別のシステムを外注に頼ったら、システムの全体に誰も責任を負わなくなるでしょう。国立大学法人化後六年が過ぎ、「効率化」を標榜して進められてきた「改革」があちこちでぼろを出してきていますが、その一環にたまたま遭遇しちゃったんだと思いました
。
?平城遷都一三〇〇年記念事業協会の公式マスコットキャラクターなんだそうです。いやあ、せんとくん、まんとくんなんて言うからコンビかと思ったら、まんとくんはせんとくんに対抗して擁立された非公式キャラクターなんですって
。それでも一年前にはせんとくん、まんとくん、なーむくんが鼎立しているように見えたのですが、この間奈良に行ったら、圧倒的にせんとくんが突出していました。
を急いでいるんですって
。その道路の拡幅に抵抗するかのように頑張っている奈良漬屋さんの町屋を見て、こういう町屋がもっとあったはずだと気付きました。どうもこの急速な道路拡幅で姿を消した町屋がいくつかあるようですね。三条通りは広くなっておしゃれな街並みになりそうですが、一三〇〇年祭が古い町屋と通りの風情を無くしていくというのがいいことなのかなと、ふと疑問に思いました
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。その最終回の時に、世話人の方が、私が編集長やっているということで、『歴評』と編集長ブログを紹介してくれたんです。でも百五十人ほどいる受講者の中で『歴評』をすでに知っていた人はほとんどいなかった。
)とかいわなくても、歴史を好きな人は一杯いるのに、それが学会と結びついていない。歴史の学会は市民向けの取り組みに熱心なのに、あまり人が集まらない。でも一方で、高い受講料をとられる講座に結構人が集まっているんですよ。なんだか学会の取り組みと市民の学習熱がすれ違っているような気がします
。これがうまくかみ合うと、お互いにすごくいいのにね。
。編集長でよければ、都合のつく限りはでかけていきますよ
。一応私の任期中は手弁当で
ところで、歴史好きなの男性のことを「歴士」 と呼ぶのですね。知りませんでした。そういう方々に是非『歴評』をお届けしたいです。編集長の講義に参加された市民学習サークルの皆さま、いつでもお気軽にお問い合わせくださいね
。もちろん、それ以外の歴女・歴士の方々のご入会・お問い合わせもお待ちしております。 『歴評』 読者の会、本当に実現したりして!?その時は私も編集長にこっそりついていきます。)
。二日間の日程のうちであの時間がヤマだなんて話も聞きます。で、そんな大変な思いをしてやる意味がどれだけあるんでしょうか。そもそも静寂な環境で耳をこらして聞くのなんて、日常とは別ですよね。日常では雑踏の中だし、聴き取れなければ聞き返すものでしょ。そう、会話って双方向のものじゃないですか
。まあそれでも、ヒヤリングの試験がある種の能力を評価するものだとして、それが大学入学選抜に必須のものでしょうか。語学力としてヒヤリングが重要だということとそれが入試に必須かということは全然違うと思うけど。入試でやって悪いってことじゃないけど、ものすごい負担をかけてもどうしてもやらなければいけないことなのかってことです。人間の能力を百パーセント評価することなんてできない。それで評価の精度をあげようという努力が一方でなされるのだけど、むしろ評価が完全ではないことを補う措置を考えたほうがいいんじゃないでしょうか。今や「評価」は受験生だけの問題ではなく、教員も大学そのものも対象ですものね
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。あれ、緊張しますよね。当てカンで回答欄を埋めたこと数えきれず・・・。用意する大学側も大変なんですね
。)
。所定の授業回数をきっちりクリアせよとのお上からのお達しにより、各大学が国民の祝日を開講日に指定するようになったって話ですよ
。この話を以前に取り上げたときは、授業は回数やりゃいいってものじゃないんだから、休日はしっかり休もうよって趣旨だったのですが、逆に「休日」に休めないのなら、そんな「休日」決めておいてもしょうがないんじゃないかな。何年か前から月曜の「休日」が多くなったでしょう。そもそも月曜という曜日で指定された祝日があるし、日付で指定されている祝日が日曜にあたった場合にはその翌日の月曜が休日になる仕組みがある。この月曜休日が大学の学年暦を決める際の最大の難関になってしまっていますね。要するに、「国民の祝日」のあり方が、少なくとも今の文科行政に合わなくなってきている。でも変えてほしいのは、やっぱり文科行政のほうですね。休日は大切にしましょうよ
。「ゆとり教育」がなぜ失敗したのかを真剣に反省しないで、今度は詰込みでというのは、安直すぎやしませんか
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。)
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」に感動するようなものかな。
。もちろんそれを許しているのは、日本国民全体の歴史認識がおそまつということでもある。
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