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『歴史評論』編集長つぶやきブログ(編集後記より)

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特集だけじゃないんです

暑いですねえ・・・って先月号に書きながら、皆様のお手元に届く頃まだ暑いかなあと思わないではなかったのですが、やっぱり暑かったですねえ。さて、『歴史評論』は毎号が特集号なのですが、もちろん全ページが特集記事というわけではありません。おおまかですが、特集記事が70ページ、その他が40ページという構成です。その他には投稿論考とか書評・紹介がもちろん入りますが、 「歴史のひろば」 「歴史の眼」 「文化の窓」 「科学運動通信」 「最近考えていること」などの記事もあり、基本的には依頼して書いていただいています。「歴史の眼」は時事的な問題を取り上げるコーナーですが、この特集号に載ったらいいのになと思ってもなかなかうまくいかない。今月号掲載の岡本厚さんの「歴史の眼」は、7月号の「安保特集」に載ればよかったのですが、確か岡本さんにお願いした時には、7月号はすでに制作工程に入っていたんじゃないかと思います。
というわけで、『歴史評論』は興味のある特集号を購入するだけでなくて、やっぱり定期購読して、特集以外のところも読んでほしいんですね。いや「編集後記」はどうでもいいですけど。ちなみに岡本さんは雑誌『世界』の編集長を務めておられる方です


 (事務のHです。9月になってもこの暑さ、一体どうしちゃったの!?と心配でしたが、後半になって急に涼しくなりましたね。体調に気をつけて過ごしたいですね。さて。編集長から定期購読のお話が出ました。年間購読すると良いこといっぱいありますよー!1冊あたりの値段は安くなるのはもちろん、専門以外の論文を読むことで
知識・関心の幅が広がるし、書評や紹介原稿も沢山載せていますから最新の文献を知るのにも役立ちます。年会費9000円(12冊配本)ですから、飲み会を2回我慢すれば大丈夫!?4500円ずつ分納してもOKです。特集以外にも力入れてますので、是非ご購読ください。ご入会をお待ちしておりま~す。お申し込みはこちらまで rekihyo@mx10.ttcn.ne.jp  )
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天下大乱の予兆…?

暑いですねえ。編集後記を書く時には、皆様のお手元に届く頃、この話題まだ有効かなあということをいつも考えるのですが、私が書いている今も暑いし、皆様が読まれる頃も暑いんでしょうね
小石川植物園では世界最大の花ショクダイオオコンニャクが一七年かかって咲いたんですって。時を同じくしてヒューストンでも同じ花が開花したってニュースで言ってました。何年かに一度しか咲かない花が咲くのって、天下大乱の予兆 なんじゃなかったでしたっけ
そういえば今朝は大きな地震があって、震源地が茨城県鹿島付近ってことでした。鹿島神宮には要石があって地震を抑えているはずなんですが、ずれちゃったのかな。天下大乱と言えばこの間の参議院選挙。結果の予想が非常にしづらかった選挙だったそうで、実際、報道の予想もはずれたようですね。現在の選挙のこととなると、読者の方にも私にもそれぞれの立場があるわけで、一喜一憂することにもなるわけですが、当座の一喜一憂を越えて、政治がどういう方向に行くのかということを、大きな流れとして洞察することが大切ですよね。

ところで「ショクダイオオコンニャク」の「ショクダイ」って燭台のことなんですって。食大じゃないんだ… 


(事務のHです。暑いですね~。皆様、どうぞご自愛くださいね。ところで。鹿島神宮の要石を知らなかった恥ずかしい人がここに一人…。なになに、「要石が地底で地震を起こす大なまずの頭をおさえているから、鹿島一体では大きな地震は起きない。頭は鹿島神宮の要石が、尻尾は香取神宮(千葉県)の要石が押さえている」(以上慌ててネット検索)。え!香取神宮には行ったことがあるのに~。一体何をみてきたんでしょうね…。

一号編集長のお誘い

iPadとか電子ジャーナルだとかの話題のついでに、紙媒体の雑誌は無くなっちゃうかもしれないねって話になりました。紙媒体でなくてもいいのだけど、今までと同じ会員が同じ会費を払ってくれるかどうかが問題です。そうでないと、電子媒体だって維持できない。そうなると会員であることのメリットが何かですよねえ。普通は投稿の権利ということで、歴評だってそうなんですけど、毎号が特集号の歴評なら、もう少し工夫が欲しい。特集企画そのものを募集しましょうか。もちろん投稿と同じように企画についての審査が必要ですが。科研とかでの共同研究の成果を分厚い報告書にまとめるのもいいけど、学会誌に掲載したほうがより広く、安定的に読まれます。そもそも分厚い報告書を作成する義務がなくなりましたから、研究成果の還元の仕方については、実質的な方法を考えるべきですよね。学会誌という枠で審査を通したものを世の中に出していくことは、学術の水準を維持するのに必要だと思います。また歴評のような特集企画は個別の投稿とは別の成果物を生み出します。どうですか。あなたも一日編集長、いや一日というわけにはいかないので、一号編集長をやってみませんか


(事務のHです。iPad、出ましたね!あの指でページをペラペラめくる操作をしてみたい!もしも本当に紙媒体の資料が無くなってしまったら・・・?歴史の研究をしていると、よく誰々の直筆の手紙だとか出てきますが、今もうすでにメールが主要な通信ツールとして利用されていますから、この傾向がどんどん進めば、「手紙」という史料は出てこなくなってしまうのでしょうか?メールって、一瞬で削除できちゃいますもんね。書簡も重要な史料のひとつだと思いますが、それが残らなくなってしまうのは、ちょっとつまらないですね。それはさておき!一号編集長の話、果たして本当なのでしょうか??編集長いわく、「大変だけど、楽しいお仕事」だそうですよ~。)

歴史を体験してますか?

「六〇年安保」から五〇年なんですねえ。私は五歳だったので、直接の記憶というのは、それほどありません。でも歴史的大事件を個人として体験するということは、そうあることではないですね。一九七三年のチリのクーデタや一九七五年のサイゴン陥落、一九八九年のベルリンの壁崩壊や一九九一年のソ連崩壊はその時点で大事件だと認識し、自分の精神史にも大きな意味を持っているけれども、直接にかを経験したわけではありません。
直接経験したと言えば、アメリカ滞在中の二〇〇四年五月一八日午前〇時にマサチューセッツ州がゲイ・マリッジの登録を開始するのを待ち構える群衆の中にいたことかな。たまたま篠田正浩監督を迎えての「スパイ・ゾルゲ」上映会の終了後、駐車場の車を取りに行く途中で巻き込まれて動けなくなったというだけ。そもそもその群衆が何だったかその時点で認識していたかどうか。市長室にはウェディングケーキが用意されていて、カップルは市長から祝福を受けたなんて話が記憶の中にあるけど、もちろん自分でそれを見たわけではない。たぶん翌日の新聞で読んだんだと思います。
歴史を体験するというのは、必ずしも直接に体験することだけではないですよね

(事務のHです。7月号の特集は、「60年安保から半世紀」です。私はまだ生まれていないのですが、大島渚の映画や柴田翔の小説で何となくですけど時代の雰囲気を知ることが出来ました。歴史学の側面からどう捉えるのか、今特集を楽しみに読みたいと思います。話はとんで、大学1年生の時に史学概論で自分史を書いたことがあります。生まれた年は世界的にこんな年だったとか、小学校入学の年にはこんな歴史的事件があったとか。年表片手に大変だったけど、結構面白かったです。はじめて自分も歴史とリンクしているんだという気分になりました。)

「効率化」とは言うけれど。

大学病院なんかに行くと、診察が終わった後、会計をするのにすっごく待たされるでしょう。私が通っている病院、数年前に、それを待たなくていいという会計カードを導入したんですよ。診察が終わった後、診療科窓口でそのカードを見せれば、料金は登録口座から自動引き落としになるって仕組みです。ところが四時以降はだめとか、特別な検査があったらだめとか、ずいぶん制限がありました。そのうち改善されるかと思っていたら、逆に今年度から使えなくなっちゃった。なんでもカルテを電子化したから使えなくなったというのですが、全然訳がわからない。逆じゃないですかね。説明がなっていないから推測で書くしかないのですが、要はあるシステムの変更に別のシステムが対応していないってことでしょう。システムの全体を見ていないからそういうことになるんじゃないですかねえ。いやもうひとつ。アウトソーシングの破綻だと思います。個別のシステムを外注に頼ったら、システムの全体に誰も責任を負わなくなるでしょう。国立大学法人化後六年が過ぎ、「効率化」を標榜して進められてきた「改革」があちこちでぼろを出してきていますが、その一環にたまたま遭遇しちゃったんだと思いました

(事務のHです。すっきりしたお天気が続いて、初夏らしい陽気になりましたね。今回のつぶやき、いかが感じましたか?確かに「効率化」って大事ですよね。効率の悪い私は常日頃感じております・・・。でも、何でもかんでも効率化!という考え方だと、今回のようなことが起こるんですね。「効率化」のもと、複雑な物事が無理やり単純化されて、少しでも規格から外れたものがどんどん切り捨てられていくことに、恐さを感じます。「誰のための効率化なのか」ということが大事なんですね・・・きっと。)

なーむくんて何者?

せんとくんって知ってます?平城遷都一三〇〇年記念事業協会の公式マスコットキャラクターなんだそうです。いやあ、せんとくん、まんとくんなんて言うからコンビかと思ったら、まんとくんはせんとくんに対抗して擁立された非公式キャラクターなんですって。それでも一年前にはせんとくん、まんとくん、なーむくんが鼎立しているように見えたのですが、この間奈良に行ったら、圧倒的にせんとくんが突出していました。
もうひとつ驚かされたのが三条通りの変貌。もともと狭い通りで一方通行でしたし、建物が新しくなるたびに奥に引っ込むのはセットバックでやむをえないのかと思っていましたが、通りに面した建物の取り壊しが急速に進んでいますね。なんでも一三〇〇年祭に合わせて道路の拡張を急いでいるんですって。その道路の拡幅に抵抗するかのように頑張っている奈良漬屋さんの町屋を見て、こういう町屋がもっとあったはずだと気付きました。どうもこの急速な道路拡幅で姿を消した町屋がいくつかあるようですね。三条通りは広くなっておしゃれな街並みになりそうですが、一三〇〇年祭が古い町屋と通りの風情を無くしていくというのがいいことなのかなと、ふと疑問に思いました



(事務Hです。「まんとくん」に「なーむくん」、知りませんでした。どうにも気になり、ネットで検索してみました。キャラクター自体はかわいらしかったのですが、キャラ鼎立の発端を知り、ちょっと驚きました。色々あるのですねぇ。
古い町並みがどんどん消えていってしまうのは、ちょっと寂しいですね。実際にそこで暮らしている方々の利便性を考えると、あまり無責任なことは言えないのですが・・・。西欧の様に古い建物をリノベーションして再利用するには、日本の木造建築では難しいのかもしれませんね・・・。)

『歴評』読者の会


あるNPO法人が運営する市民学習サークルで一二回ほど講義させてもらいました。その最終回の時に、世話人の方が、私が編集長やっているということで、『歴評』と編集長ブログを紹介してくれたんです。でも百五十人ほどいる受講者の中で『歴評』をすでに知っていた人はほとんどいなかった。

「歴女」とか「歴士」(男はこう言うんだというご指摘をいただきました)とかいわなくても、歴史を好きな人は一杯いるのに、それが学会と結びついていない。歴史の学会は市民向けの取り組みに熱心なのに、あまり人が集まらない。でも一方で、高い受講料をとられる講座に結構人が集まっているんですよ。なんだか学会の取り組みと市民の学習熱がすれ違っているような気がします。これがうまくかみ合うと、お互いにすごくいいのにね。
ある高名な先生の著書のあとがきを読んでいたら、その先生が若かりし日にこれまた高名なある先生に出会った場が、『歴評』読者の会だったって書いてありました。昔はそういうのがあったんですね。執筆者が出席して読者と交流するような場らしいです。編集長でよければ、都合のつく限りはでかけていきますよ。一応私の任期中は手弁当で
いいです。あと少しですが…。

 (事務のHです。ようやく春らしい陽気になってきました。先日の嵐にはびっくりしましたね ところで、歴史好きなの男性のことを「歴士」 と呼ぶのですね。知りませんでした。そういう方々に是非『歴評』をお届けしたいです。編集長の講義に参加された市民学習サークルの皆さま、いつでもお気軽にお問い合わせくださいね。もちろん、それ以外の歴女・歴士の方々のご入会・お問い合わせもお待ちしております。 『歴評』 読者の会、本当に実現したりして!?その時は私も編集長にこっそりついていきます。)

「評価」という問題

入試の季節ですね。センター試験でヒヤリングが始まったのっていつでしたっけ。あれって受ける側も大変だけれども、受けさせる側も大変ですよね。二日間の日程のうちであの時間がヤマだなんて話も聞きます。で、そんな大変な思いをしてやる意味がどれだけあるんでしょうか。そもそも静寂な環境で耳をこらして聞くのなんて、日常とは別ですよね。日常では雑踏の中だし、聴き取れなければ聞き返すものでしょ。そう、会話って双方向のものじゃないですか。まあそれでも、ヒヤリングの試験がある種の能力を評価するものだとして、それが大学入学選抜に必須のものでしょうか。語学力としてヒヤリングが重要だということとそれが入試に必須かということは全然違うと思うけど。入試でやって悪いってことじゃないけど、ものすごい負担をかけてもどうしてもやらなければいけないことなのかってことです。人間の能力を百パーセント評価することなんてできない。それで評価の精度をあげようという努力が一方でなされるのだけど、むしろ評価が完全ではないことを補う措置を考えたほうがいいんじゃないでしょうか。今や「評価」は受験生だけの問題ではなく、教員も大学そのものも対象ですものね


(事務Hです。ヒヤリング試験、大の苦手でした。あれ、緊張しますよね。当てカンで回答欄を埋めたこと数えきれず・・・。用意する大学側も大変なんですね。)

休めない「休日」なんて・・・

2月11日と言えば、私にとっては、休みではない「休日」の第一号なんですが、最近は自分の意志に反して休ませてくれない「休日」が増えてしまいましたね。所定の授業回数をきっちりクリアせよとのお上からのお達しにより、各大学が国民の祝日を開講日に指定するようになったって話ですよ。この話を以前に取り上げたときは、授業は回数やりゃいいってものじゃないんだから、休日はしっかり休もうよって趣旨だったのですが、逆に「休日」に休めないのなら、そんな「休日」決めておいてもしょうがないんじゃないかな。何年か前から月曜の「休日」が多くなったでしょう。そもそも月曜という曜日で指定された祝日があるし、日付で指定されている祝日が日曜にあたった場合にはその翌日の月曜が休日になる仕組みがある。この月曜休日が大学の学年暦を決める際の最大の難関になってしまっていますね。要するに、「国民の祝日」のあり方が、少なくとも今の文科行政に合わなくなってきている。でも変えてほしいのは、やっぱり文科行政のほうですね。休日は大切にしましょうよ。「ゆとり教育」がなぜ失敗したのかを真剣に反省しないで、今度は詰込みでというのは、安直すぎやしませんか

(事務Hです。本年もどうぞよろしくお願い致します。確かに「休日」は大事にしたいですね。大学がノルマ第一主義の企業のようになってきて違和感を感じます。ただし2月11日は私にとってもお休みではありません。日本橋公会堂での催しをご案内致します。皆様のご参加をお待ちしております。)
  →「建国記念の日」反対 2・11集会    

「歴史認識一〇箇条」

新年おめでとうございます
昨年のことになってしまいましたが、就任二〇周年を迎えたさるお人が「過去の歴史的事実を十分に知って、未来に備えることが大切と思います」とおっしゃいましたね。
その人の職そのものは廃止すべきものと私は考えているのですが、この発言には実は感動してしまいました。いや、おっしゃっていることは当たり前のことで、一々感動しなくちゃいけないような状況のほうがおかしいんですけどね。「冬ソナ」に感動するようなものかな。
で、思うのは政治家や官僚の歴史認識がなんとおそまつかということ。もちろんそれを許しているのは、日本国民全体の歴史認識がおそまつということでもある。
でね、年の初めの初夢(ホントはまだ一一月だけど)に思いました
この国の政治や行政を動かしている人たちにどうしても正確に知っておいてほしい歴史認識を一〇箇条まとめてみたいって。たとえばね、領土問題なんて浅薄な知識で処理されたら大変なことになるんで、正確に理解しておいてほしいですね。
知識というだけでなくて歴史の見方が大切なんだけど。

みなさんは何を一〇箇条に入れますか?ブログ版に書き込んでいただけると幸いです。特集として実現できたらいいなあ

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