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『歴史評論』編集長つぶやきブログ(編集後記より)

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特集「異文化接触としての日米交流史」によせて

筆者のゼミに入ってくる留学生の言動には、驚くことが多くあります。ロシアからの留学生は、筆者の研究室のドアの前で靴を脱ごうとしました(もちろん研究室は畳張りの部屋ではありません)。フランスからの留学生は、ゼミ合宿の懇親会の場で仲間から勧められたチーズを一口食べると、「これはチーズではない」といって二度と口にしませんでした(そう、あの丸くて六つに分かれているやつ)。大韓民国と中華民国からの留学生が語る、徴兵後のつらい体験に、ゼミの学生たちは言葉もなく聞き入っていました。

坐して留学生を迎え入れるだけで、こんな「異文化接触」「異制度接触」を経験できるのですから、自から異国におもむいて得られる日本人留学生の体験の豊富さは、さぞや大きなものになるはずです。グローバリゼーションが叫ばれ、海外旅行が日常化している現在ですが、やはり「学びに外国に行く」ことは格別なはずで、それだけに、勤務する大学で送り出しの留学生が減少していると聞いて、とても残念な思いがします。

本号所収の論文に登場する海外に出ていった日本人たちの得た驚きの大きさと、彼ら・彼女らの得た経験の重さが偲ばれます。
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特集「戦国時代の軍隊と戦争」によせて

「長宗我部元親って本当にイケメンだったの?」

 父親の職業が日本史の教師であることを重々承知の娘の口から発せられた唐突な質問に仰天。その質問を誘った 「戦国」の語を冠するコンピューターゲームの内容が、戦国時代の合戦と何の関係もないものであることを知ってまた仰天……。  
 本号に収められた論文の下読みをしながら、そんな私事を思い起こしてしまいました。  
 戦国時代は、その名称が示すように「戦い」が日常化していた時代であったということができます。そのために、本特集の企画の前提の一つになっている、戦国時代の合戦に関する議論の蓄積が乏しいという研究史の認識に対して、あるいは違和感を持たれる読者がいるかもしれません。しかし、合戦の背景となった政治情勢や合戦の結果がもたらした歴史変動をめぐる研究は多いものの、合戦のあり方そのものをめぐる研究は不十分なものであるというのが実情なのです。  戦国大名の容貌はともかく、戦国の世という時代の顔立ちや輪郭をあらためて深く知る上で、本号の内容は大いに役立つものであると確信しています。

特集「「御家」の思想―大名家の自己認識」に寄せて

 本号は、江戸時代の大名家が有する「由緒」をテーマとする特集を組みました。
 越後長岡藩をとりあげた小川論文は、家訓における「常在戦場」の語に着目し、また野口論文は佐賀小城藩の領民の「生命維持」の問題に注目し、いずれも藩政改革と藩の由緒の関わりを論じています。
 佐藤論文は信濃松代藩の藩主の著述を検討対象とし、阿波蜂須賀家をとりあげた三宅論文は系譜意識と藩主の相続問題の関係を論じ、そして千葉論文も、やはり系譜と藩史の叙述を手がかりとして弘前藩津軽家の自己認識の形成過程を分析しています。
 我々は時に「由緒正しき家柄」などという表現を用いながら、評価や価値判断を下してしまいます。しかし、よくよく考えてみるならば、由緒が「はっきりしている」とか「よくわかっていない」という場合はあるにせよ、由緒に「正しい」「正しくない」ということはありえないはずです。
 江戸時代の大名家の由緒をめぐる議論は、現代の私たち自身が有する自己認識・他者認識のあり方を見つめ直し、その問題点を知るための論点を提示していると思います。よろしく、ご味読をお願いいたします。

就任のご挨拶

二〇一二年一一月一七日に早稲田大学戸山キャンパスで行なわれました歴史科学協議会会員総会で、大橋幸泰さんより『歴史評論』編集長の職を引き継ぎました上杉です。同じく佐々木啓さんより編集幹事の職を交替した本庄十喜さんと校正幹事の仕事を引き続きお願いする糟谷幸裕さんとともに、『歴史評論』の編集実務にあたらせていただくことになりました。

 『歴史評論』の編集長を引き受けることになりそうだという話をまわりの人に話したところ、「『歴史評論』は毎号に特集を組まなくてはならないから大変そうだねえ」と「『歴史評論』は毎号特集があるから面白いよね」という二つの反応が返ってきました。物言いは対照的ですが、『歴史評論』の特徴はしっかり理解されているのだと、あらためて確認できました。

 現在の複雑な内外の情勢に対する観察から得られる問題意識をもとに、歴史の文脈に細心の注意をはらいながら過去の史実に問いかけることで得られる特集の素材は、必ずや豊富にあるはずです。まことに非力な編集長ではありますが、会員・読者の皆さんの助けを借りながらがんばっていきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

*事務のHです。新編集長からのご挨拶でした。新たな編集体制のもとで、どんな特集が組まれていくのか、とても楽しみです!せっかくなので、編集体制の交代にあわせてブログのテンプレートも変えてみました。『歴史評論』の感想や会への要望・質問など、お気軽にお寄せください。そういえば、『歴史評論』ではTwitterもやっています。嬉しいことに、フォロワー数が1000人を超えました!催しの案内や新刊紹介を配信しておりますので、こちらもよろしくお願いします。Twitterのアカウントは”rekihyo”です。
 
    

退任のあいさつ

歴史学が世の中にとって意味のある学問であり続けるには、〝現在〟との緊張感を維持していくことが必要とされます。編集長を務めたこの二年間、『歴評』の編集にあたって念頭にあったのはこのことでした。編集幹事のS々木啓さん、編集実務のK谷幸裕さんをはじめ、編集委員の協力のおかげで何とか無事任務を終え、次の編集長・編集幹事に引き継ぐことができそうです。

任期を終えるにあ
たり、私の一押しの映画の台詞で、本欄での私の〝つぶやき〟を締め括らせてください。
その映画では、現実の世の中に失望した人びとが心地よい過去(実際
のそれというより、恣意的に選択された過去)に溺れていき、やがてその過去のなかで永遠に生きたいと望むようになります。その結果時間の進行が止まり、未来はもう少しで消滅しかけるのですが、希望ある未来を生きたいと思う主人公の少年と、心地よい過去に溺れることの愚かさに気づいたその両親に向かって、現実逃避の世界を創出しようとした秘密結社のKは次のように言います。

「おまえたちが本気で二一世紀を生きたいなら行動しろ。未来を手に入れてみせろ。」

そのあと、未来を取り戻そうと行動した主人公の活躍は、涙なくして見られ
ません。


事務のHです。O橋編集長の退任のあいさつでした。O橋さんには事務局長を3年、その後編集長を2年務めていただき、5年にわたり事務局を支えていただきました。今回の映画については、編集委員会後恒例の飲み会で熱く語っていただいたことを思い出します。次の委員会までに私と編集幹事のS々木さんもその映画を鑑賞し、また熱く議論したのでした。仕事以外にもそうした楽しい時間を沢山作ってくれる編集長でした。編集幹事のS々木さんは、どんなに大変な時でもそれを見せずタフに仕事をしてくださいました。楽しい冗談に励まされたこと、フォローしてもらったこと、数えきれません。お二人とも本当にお疲れ様でした。校正のK谷さんはもちろん、O橋さんもS々木さんも編集委員は継続されますので、今後もお付き合いいただきたいと思います。
 さて、O橋さんイチオシのこの映画、タイトルがわかった方いらっしゃいますか?回答をお寄せください。正解した方には、何か素敵なモノを差し上げちゃいます

緊急小特集「現代日本の「ポピュリズム」を問う」に寄せて

 最近、民意とは何をもっていうのだろうか、と考えます。今号の特集が念頭に置いている政治家はみな、新自由主義のもと格差を容認する態度をとるとともに、個性の尊重よりも組織の論理を優先させ、ナショナリズムを煽る言説を繰り返します。その結果、福祉を縮小し弱者を切り捨てる強者の社会を招来することは容易に想像できます。にもかかわらず、彼らは一定の支持を得ており、有権者の選挙によって選ばれた公人であることも事実です。とすれば、彼らが権力を行使するのは民の意志を反映したものだということになるのでしょうか。これには論理のすり替えがあると私は思います。有権者はさまざまな利権や立場を持つ人びとから成り立っているのであって、選挙の結果が直ちに民の意志であるとはいえません。この構造上の矛盾を解明するには、民とは何かという問題を突き詰めて考えてみる必要があるように思います。民とは具体的な誰かを指すのではなく、あらゆる枠組みを超えた、日々の生活を送る生活者という属性の一つと考えるべきだというのが私の意見です。そうした生活者の意志が尊重されるように、そして大政翼賛会の時代に後戻りしないようにとの願いを込めて、今号をお届けします。

 

特集「原発震災・地震・津波―歴史学の課題―」によせて


一生のなかで忘れられない瞬間というのは人それぞれでしょうが、同時代の人びと(もちろん地球規模で考えれば、その範囲は無制限ではありません)が共通に記憶に留める日というのが存在すると思います。
二〇一一年三月一一日は確実にそのような日になりました。あの日から一年半経ったいまもその傷跡は生々しく、福島第一原子力発電所から漏れ出した放射能のため、周辺住民の帰還はめどすら立てられない状況です。これほど深刻な人災が人びとに多大な苦しみをもたらしてなお、この先も原子力発電に頼ろうとする動きがあるのは、いかにその利権の構造が強固であるかを示すものなのでしょう。これに限らず、克服するべき構造上の矛盾を前にして自分には何ができるのか、との思いが募ります。

ところでやや唐突ですが、先日、松本幸四郎氏主演のミュージカル『ラ・マンチャの男』一二〇〇回記念公演を見ました。「現実のみを追って夢をもたぬのも狂気かもしれぬ。夢におぼれて現実をみないのも狂気かもしれぬ。なかでも最も憎むべき狂気は、ありのままの人生に折合をつけてあるべき姿のために戦わぬことだ」(森岩雄・訳、同パンフレットより引用)という劇中の台詞が深く私の心に響きました。

特集「いま、歴史教育は何をめざすのか」によせて

 『大日本地名辞書』で知られる明治の歴史家吉田東伍は、大学での講義のなかで、「「歴史を教へるつてをかしいですな」と徐ろに説き出」し、「歴史は教はるべきものでなく、自ら研究すべきもの」だと指摘していたといいます。これは彼の追悼文集『吉田東伍博士追懐録』の一節にある話(定金右源二による回想)ですが、歴史教育のあり方を考えようとするとき、このエピソードは示唆的です。
歴史を学ぶとは、歴史に向き合う者が主体的にどのように過去の人びとの営みを認識するかということですから、歴史は教え込むものであってはならないということなのでしょう。こうした姿勢は大学に限らず、小中高における歴史教育についても共通に求められるべきものなのだろうと思います。中高の教員を長くやっていたことと、現在の勤務先が大学の教育学部であるせいか、私は歴史教育について発言を求められる機会が近年増えてきました。そのたびごとに、「歴史は教はるべきものでなく、自ら研究すべきもの」であるという指摘を思い出し、それをどのようにしたら実現できるかということを私は考えるようになりました。
歴史教育とは何をやることなのかを問う今号の特集は、その手がかりになりそうです。

特集「歴史認識とジェンダー」によせて

男女雇用機会均等法が施行されたのは、私が大学四年生になったときの四月でした。当時は三年生から就職活動が始まるということはありませんでしたので、私たちはこの法律が適用された最初の世代ということになります。私自身はいっさい就職活動をしませんでしたから、この法律がどれほどの影響力を持ち得たのかはよくわかりません。漏れ聞くところによれば、求人広告には男女別の表示がなかったとしても、面談の場で女性を採用する予定はないと言われた、などということがあったと聞きました。当時のこの法律には罰則規定がなく、法律が制定されたからこそかえって性差別が見えにくくなった、という評価もあったように思います。その後の改訂を経て、性差を埋める努力はなお継続されてきておりますが、たとえば学校の保護者会ではやはり圧倒的に母親のほうが多いのが実際のところです。たまに父親が保護者会に出席したり食事の仕度をしたりするのは「偉い」と言われる一方で、母親がそのようには言われることはない
というのは納得がいかない、という妻の言葉は、まだまだジェンダーを克服したというにはほど遠い状況にあることを示している、ということなのでしょう。


ご無沙汰でございます。事務のHです。編集長は普段からガッツリ家事をされるそうですよ~。「家事はその時やれる方がやれば良いんです」と以前仰っていました。「歴評」編集委員の面々もそんな感じで、男性委員がみんなにお茶を淹れてくれたり、洗い物をしたり、時にはリンゴの皮むきまでも・・・とても良い感じです♪ 

 

 

特集「「奥」からみる近世武家社会」に寄せて

現代において世襲制は批判の対象ですが、過去を振り返れば、権力は長い間、世襲によって担われてきました。そして、特定の血統を継承する家の当主が権力を担う仕組みは、家父長制の家制度と結びついて、男性優位社会の基盤でした。ですから、この問題を歴史的に追究していくことは、ジェンダーを克服するうえで重要な課題であることは明らかです。
今号の特集で扱われた近世の将軍家・大名家は、必ずしも代々順調に世襲制が機能してその地位が継承されたわけではありません。領主の正室に子がいない場合に備えて側室が置かれたほか、側室を含めて実子がいない場合は、同じ血統の家を頼って養子が迎えられました。その血筋ではない家が頼られることもありました。そこまでしなければならないというのは、世襲によってその権力体を維持することにかなりの無理があったということなのでしょう。
いま、皇位継承の将来を慮って女系天皇を認めるかどうかが話題になっています。しかし、世襲制と、男女同権社会の基盤となる一夫一妻制とが矛盾するものである以上、世襲によって継承されることが当然とされる制度そのものの是非について、もっと議論があるべきではないでしょうか。


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