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『歴史評論』編集長つぶやきブログ(編集後記より)

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特集「大正デモクラシー再考」によせて

 特集テーマにことよせて、今月号は(も?)私事を。

 実は筆者は、大学入学後しばらくの間、大正デモクラシーの勉強を志していました。理由は、戦前の日本の歴史の中で「明るく」見えたから。
 大学一年の時、母校の日本史教師であった故黒羽清隆氏のもとに、勉強のアドバイスをもらいに行きました。激励の言葉をもらえるかと思いきや、先生からは「大正デモクラシーの研究をするのに文学部に進学するとは何事か!なぜ法学部か政経学部に行かなかったのだ! どうして、受験前に相談に来なかったのだ!」とお叱りの言葉。もちろん、その後で先生からは松尾尊允氏や鹿野政直氏の著作などを教えてもらえましたが、あの時のショックは今でも忘れません。これが理由というわけではありませんが、間もなく筆者の関心は前近代へと向いていきます。
 1970年代末の話です。とりとめのない私事ですが、多少は研究史に関わるエピソードにもなるでしょうか。
 そういえば最近、「私の専門は大正デモクラシーだ」という話を身近で耳にしません。本号に接した若い読者で、大正デモクラシーへの関心を持たれた方もきっといるでしょう。今なら文学部史学科で大丈夫ですよ。
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決意あらたに!

 11月16日に京都の仏教大学で行なわれた歴史科学協議会第47回会員総会で、2年目の編集長職を仰せつかることとなりました。1年目の経験から得られた教訓を活かして、堅実かつ充実した編集活動を進めていきたいと思います。
 さて、この総会において若干の編集委員の交替がありました。編集委員会の場で、編集委員を勇退される方々より直接お話をうかがう機会を持ったのですが、その言葉は、いずれも『歴史評論』への愛着と自負にあふれるものでした。
 それらに励まされるとともに、「元編集委員である一読者」の厳しい批判のまなざしにも思いがいたり、身が引き締まる思いです。
 私たちを取り囲む情勢は深刻です。特集主義の本誌にとって、正直なところ月刊のペースは楽なものではありません。しかしながら、平和と民主主義、そして歴史学の営みそのものをおびやかそうとする現政権の暴走ぶりを見るにつけ、歴史学の成果に依拠しながら、私たちの主張を叫び続けるための武器としては、そのペースすらもどかしく感じます。
 会員・読者の力を得て、がんばり続ける覚悟です。

特集「漁業と海村からみた近世・近代」によせて

 潮の香りと潮騒の響きに満ちた特集号をお送りします。
 本号がテーマとする海と漁業をめぐって、最近の二つの出来事が思い起こされます。
 一つは、多くの話題を集めたNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の放送終了のことです。海を生活の場とする人々のたくましさの描写は、まことに印象的でした。
 もう一つは、この国の首相がオリンピック招致のために放った大ウソです。東京電力福島第一原子力発電所からの海への放射能汚染水の流出が、完全にブロックされていると言い切ったことには愕然としました。この発言を聞いて怒りにふるえながら、招致成功後の祝賀ムードに水をさすことをためらい、沈黙してしまった人も多かったのではないでしょうか。福島そして東北を犠牲にして東京が栄える構図が、また一つ生みだされてしまいました。
 今この瞬間も、東北の海は放射能によって汚染され続けています。もしこの状態に終止符が打たれなければ、「潮の香りと潮騒の響き……」などと洒落ていることもままならなくなってしまいます。そう考えると、憂欝な気分をぬぐい去ることができません。

2年目を迎えるにあたって

 学会の場で、ある若手研究者から論文の抜刷をいただいた時のことです。その方は、抜刷を手渡す時に「これが収められた論文集なんですけど、こんなの出版されたのご存じでしたか?」と言われました。よく見ると、その論文集は、筆者が全体を監修したシリーズの中の一冊でした。その研究者を責めることはできません。なぜなら、背表紙に登場する著者や編者の場合と違って、監修者の名は、本の中に小さく目立たないように書かれているだけなのですから。でも本音は、「先生の監修された本に書かせていただきました」などと言ってほしかったのだけど……
 
 
   こんなつまらぬ体験談から書き出したのは、着任後まもなく一年が経とうとする今、『歴史評論』にとっての編集長の役割とは何かについて自省しはじめたからです。
 
   編集長は目立たぬ監修者であって一向に構わないはずですから、「へえ、君が編集長だったの?」で十分です。しかし、「あいつが編集長やってる雑誌に文章なんか書いてやるものか!」だけは絶対に避けたい。そして、できるならば、「彼が編集長をしているんだから、一つ力を貸してみようか」であってほしい。そう思いながらがんばっていくつもりです。



特集「君主制とイメージ」に寄せて

本号の校正ゲラを読みながら、昭和天皇(を演じている俳優)とマッカーサー(を演じている俳優)が並んで立つ写真を宣伝材料とした広告を思い出し、映画「終戦のエンペラー」を観ました。八月十五日のことです(これは偶然で、編集後記の締切りの関係で…)。
 すでにご覧になった方も多いかもしれませんし、この映画における第二次世界大戦の歴史的位置づけに関する批判も公表されています。ここで下手な映画評を展開するつもりもないのですが、昭和天皇の戦争責任の「免罪」が、事実認識の問題でなく、マッカーサーの自己顕示欲・権勢欲・「アカ嫌い」といった政治的事柄の延長上にあったことは、一応描けていたように思います。それだけに、マッカーサーによる写真を利用したメディア誘導の一例である、映画の広告素材となったあの有名な写真が日本国民に対して与えた影響の大きさについても語られて良かったように感じました。映画の中では、虚ろな表情をしながら焼け跡にたたずむ日本人ばかり登場しますが、多くの日本人が新聞を読む生活もしていたはずです。写真を史料として用いる現代史研究者ならば、この映画をどう評価するだろうか……映画館を出た後の酷暑の中を歩きながら考えました。

特集「「過去の克服」と日本の市民社会」によせて

こんな事って本当に起こるのでしょうか。先月号の「私の歴史研究」に登場されたばかりの青木美智男氏の訃報に接することになってしまうとは。

 筆者には、青木氏と親しく会話を交わした経験がありませんが、インタビュー記事掲載のお礼を直接お伝えする機会は、すぐにやって来るものと思っていました。その折りには、お礼かたがた、氏の出身大学に勤務する者として、氏の後輩たちの近世史の研究ぶりについてご報告させていただくつもりでした。

インタビューの中で氏は、「今回の東日本大震災から学んだ事柄から、福島県生まれの近世史研究者の端くれとして何をすべきかをお話します」と語り、最近の災害史研究のあり方に率直な苦言を呈されました。そのような青木氏から、奇しくもインタビューと同じ号の特集企画となった「災害と都市の比較史」の出来ばえについても感想をお聞きするつもりでした。

しかし、そのどれもこれも叶わぬこととなってしまいました。今後しかるべき方々がしかるべき形で青木氏の人柄や業績について語られるでしょうが、まずは個人的痛恨の念をこの覧に記したことをご容赦下さい。謹んで氏のご冥福をお祈りいたします。

 

 

特集「災害と都市の比較史」によせて

 宮城県角田市で保育園の園長をなさっている方から、東日本大震災の体験談を直接うかがったことがあります。地震発生時にその方は、文字通り波打つ田畑を見て、琵琶湖のあたりで日本列島が裂けてしまった、と本気で思ったそうです。地震発生のメカニズムがかなりの程度明らかにされ、震度やらマグニチュードやらといった形で地震の規模が客観的に説明できる現代においてすら、人は大災害の際にこんなことを思い描いてしまうのです。まして科学が未発達な時代の人々が大災害に遭った時、後の我々からすれば現実離れしているとしか思えない内容を持つ言説を遺すのは当然でしょう。前近代の災害史を考えるためには、そのような言説に注意を払い、本号所収の高橋論文の表現を借りれば、「他者から見聞きする集団化された情報と自分自身の経験知との組みあわせ」から様々な事柄を読み取って現代の課題に活かすことが重要であるとあらためて感じます。
 
 さて、本誌の災害関係特集号は、三・一一以降、七五〇号「特集 原発震災・地震・津波―歴史学の課題」についで早くも二回目になります。もちろんこれで十分であると私たちは考えていません。息長く粘り強く災害史研究を深めたいと考えます。

特集「前近代アジアの律令法」によせて

「急々如律令」という語があります。漢代の公的命令書の最後に記された語で、律令のように命令が実行されることを求めるものでしたが、やがて道家・陰陽師・僧侶などのまじないや祈祷の際の語に用いられるようになり、日本にも「急々如律令」と書かれた呪符が存在します。古代専制国家の支配統治の手段から祈祷祭祀にまでつながる壮大な歴史の流れが想像されます。

 そのような興味深い様相も見られる「律令の変容」が、今月号の特集のテーマです。

川村論文は、中国における律令法の変容について、刑罰を検討対象として考察しています。稲田論文は、服喪制度に注目して日本古代の令継受のあり方を論じ、日本の立法者たちによる唐令条文の取捨選択の実態を明らかにしています。矢木論文は、高麗朝における律の存否をめぐる議論を糸口に、高麗の法制度に関する新たな研究の視座を提供しています。八尾論文は、前近代ヴェトナムにおける律令継受を主題として、アジアの比較法制史に関する貴重な事例分析を行なっています。

 内容の充実を確信する本号が多くの読者を得られますように、一つおまじないを。
 キュウキュウニョリツリョウ。

特集「第46回大会報告特集/世界史認識と東アジアⅢ」

昨年の歴史科学協議会大会特集号をお送りします。大会一日目の激しい風雨の中、会場で行われた熱い討論を思い起こしながら、この文章を書いています。いま現在、歴史科学協議会の関係者は、今年の大会テーマの設定に向けた議論の真っ最中にあります。
 学問のあり方には、時流におもねらず、ひたすら自らの関心のおもむくまま真実を追求するというものもありうるでしょう。しかし、歴史を忘れるのみならず、歴史を歪曲してなされようとしている様々な現代社会の愚行を見るにつけ、情勢の求める歴史学のテーマを深めることは何より大切なことだと考えます。
「人民のたたかいに参加し、歴史学をそのたたかいの武器としてきたえようとするすべての人々の広汎な組織となることをねがう」(「歴史科学協議会創立宣言」より)歴科協にとって、それはなおさらのことです。
 筆者の嫌いな言葉に、「後世の歴史家の判断にゆだねる」というものがあります。歴史に関心を持つ人々が持つ、自分が置かれた世界への発言権や責任能力を否定する響きを感じるからです。
 歴史を学び研究する者の本当の関心の対象は、実は過去ではありません。
ではいつか?
「今でしょ!」

特集「歴史学の名著を読もう」に寄せて

今月号の特集では、歴史学の様々な名著をとりあげてみました。
ところで、「名著」の定義とは何でしょうか。ある書物が「名著」と評価される客観的基準などというものはあるのでしょうか。
国語の辞書類には、さしあたり「有名な著書。すぐれた著書」(『日本国語大辞典』)という説明が見出されますが、名著をシリーズとして集めた出版物の全てが、必ずしも名著を定義づけているわけではないようです。
その中で、「国民教養として必読のものを集め」た、一九七〇年版毎日新聞社『日本の名著』は、凡例の中で「全体を通読すれば、名著の系列によって、思想と文芸の流れをくみとることができ」る、と述べているのは注目されます。主に文学書を対象としたこのシリーズの指摘を歴史学にあてはめるならば、歴史観と歴史学の方法の流れをくみとる試みの素材となる書物が名著ということになるでしょうか。とするならば、そのような試みの数だけ、名著が発見・発掘される場面が存在するということになるのだと思います。
自ら名著を編むことが叶わぬ夢であるとしても、せめて自分なりの方法と価値観によって名著を見つけてみたいものです。


*事務のHです。今回は何と12本の特集論文を掲載しています。
 スタートの春にふさわしい特集号となりました!多くの方の手元に届きますように。

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