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『歴史評論』編集長つぶやきブログ(編集後記より)

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『歴史評論』794号によせて

 私の勤務校でも、満開の桜に迎えられ、多くの新入生が入学してきました。例年この時期は、「卒業後は世界史の先生になりたいです」などと将来への意欲を語る一年生を前にするからか、こちらも若返った気分になるものです。

 そんな新学期に、熊本から地震のニュースが飛び込んできました。4月14日の夜の「前震」、16日未明の「本震」ばかりでなく、ひっきりなしに規模の大きい余震が続いています。この地震で命を落とされた方々に対し哀悼の意を表するとともに、怪我をされた方々をはじめ多くの被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。 


 本号は、歴科協大会の報告特集号です。阿部報告は、東日本大震災以降の被災地における、文化財レスキューや歴史資料保全活動を扱ったものです。今回の地震の直後に本号が刊行されることに奇縁を感じます。一方、菅官房長官は、この地震が「奇貨」とでも言わんばかりに、憲法に「緊急事態条項」を新設すべしと発言しています。震災すら政治利用しようとする狡猾さには、唖然としますが、こうした言動への正当な批判は勿論、今回の震災への対応を含めて、社会における歴史学の果たすべき役割が何か、今また問われているような気がしています。
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『歴史評論』793号によせて

 去る3月20日、昨年10月に逝去された犬丸義一さんを偲ぶ会が開催されました。西村汎子さんの「惜別の言葉」に始まった、縁のある方々からの犬丸さんの学問や運動への功績を讃えるお話は、あたかも、犬丸さんを軸とした戦後の史学史を伺っている趣きでもありました。歴科協や『歴史評論』の活動が、多くの先輩たちの努力のおかげで今日まで継続して来られたことを、改めて痛感したところです。

 本号は、石母田正さんの特集号を編みました。本誌と石母田さんの関わりは創刊時に遡ります。その経緯は、本誌318号(1976年10月号)に掲載されている座談会「『歴史評論』創刊のころ」を御覧ください。その座談会によれば、新たな歴史雑誌刊行の話が持ち上がった1945年の終わり頃から、雑誌の名称について幾つかの候補が出され、その時、石母田さんは『祖国戦線』という名称を考えられていたとのことです。紆余曲折を経て誌名は『歴史評論』に落ち着き、民主主義科学者協会歴史部会の機関誌として刊行されることになった訳ですが、当時『祖国戦線』という誌名に込めた石母田さんの情勢判断にも思いを馳せつつ、私自身は、本号の編集作業を進めてきた次第です。

『歴史評論』792号に寄せて

 3月を迎えました。卒業の季節です。卒業論文や修士論文の指導や審査を終え、一安心されている会員・読者の方も多かろうと思います。確かにやきもきさせられることも多いのですが、論文指導を通して、学生・大学院生とその成長の過程を共にできることは、教師としての喜びでもありましょう。

 来月になると、歴史を学ぼうと大学の門を敲く新入生がやって来ます。選挙権が18歳に引き下げられてから初めての入学の季節です。高等学校でどのように政治教育を進めるかが、新聞紙上などを賑わせていますが、大学で教育に携わる立場からも等閑視できない問題です。いわゆる「初年次教育」を担当されている会員・読者の方もいらっしゃると思います(かくいう私もその一人です)が、受験勉強から解放されたばかりの若者に、いかに政治や社会の問題に関心を抱かせるか、今まで以上に大切な課題となりそうです。

 さて、本誌45頁にも記載いたしましたが、来年4月の創立50周年を記念して、歴科協では様々な記念行事の企画と準備を進めています。それらの成功のために、会員・読者の皆様からの御助力がどうしても必要です。募金へのご協力も、是非よろしくお願いいたします。

『歴史評論』791号に寄せて

通常国会が始まっています。すでに安倍首相は、改憲の是非を今夏の参院選の争点にすることを明言しています。

 さすがに、いきなりの九条「改正」は難しいと判断しているのでしょう。20124月に自民党が発表した改正草案に盛り込まれている「緊急事態」条項を突破口にしたいようです。緊急事態が宣言されると、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定できるとのことですが、旧憲法での「緊急勅令」を彷彿とさせる内容です。万一この条項が創設されれば、「緊急事態」を口実に、時の内閣による専制政治が「合憲」化されてしまいかねません。

 18日の衆議院予算委員会では、新藤義孝元総務相が、「平成28年が明けました。伝統的な数え方で言えば皇紀2676年」と発言しています。自民党の改憲草案を見れば、天皇の元首化、国旗・国歌尊重の義務化、元号法制化などが謳われており、「建国記念の日」を是とするような価値観を国民に強要しているとしか読みようがありません。そうした考え方の人びとの改憲構想を現実のものにしないためにも、教育のあり方が今後いっそう重要なものになっていくことでしょう。今回の特集が、読者の皆さんの考えるヒントになれば幸いです。

『歴史評論』789号に寄せて

 20161月号をお届けします。

『歴史評論』の創刊は、戦後間もない1946年のことでした。つまり、今年は、『歴史評論』創刊70周年ということになります。あわせて、今年の12月号にて、通巻で800号を迎えることにもなります。現在、編集委員会では800号の企画に頭を悩ませているところではありますが、先輩たちが継続してきた『歴史評論』が果して来た史学史的な意義を意識しながら、800号は勿論、毎号充実した『歴史評論』をお届けできるよう編集委員一同努力してまいりますので、2016年もどうぞ宜しくお願い致します。

 さて、去る112829の両日、第49回歴科協大会が、明大駿河台キャンパスで開催されました。幸い好天にも恵まれ、多くの会員・読者の方が参加してくださいました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 2016年はいよいよ大会も第50回の節目を迎えます。大会のテーマは、理事会兼全国委員会での議論を経て決定されますが、現在の諸情勢に内在する現代史的意義を見据えた、記念の年にふさわしい大会としなければなりません。会員・読者の皆様からも、積極的なご意見を歴科協までお寄せいただければと思います。

『歴史評論』786号に寄せて

来る11月28・29の両日、第49回歴科協大会が開催されます。今回は、3年ぶりの東京開催です。会場である明治大学駿河台キャンパスに、多くの会員・読者の皆様にお集まりいただきたいと思います(なお、大会の詳細は、11月号を御覧ください)。

 大会が今年で49回目ということは、歴科協の五50歳の誕生日も迫っているということに他なりません。歴科協は、再来年の4月に、創立50周年を迎えることになります。現在、理事会兼全国委員会などの場で、創立50周年にふさわしい記念事業の計画を企画・立案しているところです。

 さて、今年の大会や創立50年に向けた準備を進めている中、歴科協の大先輩の訃報が飛び込んできました。すでにご存じの方も多いと思いますが、本誌の編集長も務められた犬丸義一さんが、去る10月2日に逝去されました。私が最後に御挨拶したのは、三年前の早稲田での歴科協大会でした。今から思えば、臆することなく、かつての『歴史評論』の編集や歴科協の運動について、お話を伺っておくべきでした。再来年の創立50周年の時は、きっとどこかで見守ってくれていることと思います。心から哀悼の意を表して、御冥福を祈ります。


※更新が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。
※上記の第49回大会はすでに終了しております。

『歴史評論』785号に寄せて

「戦後七〇年」の夏が終わろうとしています。「安倍談話」、「安全保障法制」関連法案の参議院での審議、来年四月から使用される中学校社会科教科書の採択など、注視せざるを得ない出来事が続きました。

 戦後70年にあたって安倍首相が発表した談話は、「侵略」「植民地支配」などの言葉こそありましたが、首相自身の主体的認識としての「反省」や「お詫び」を読み取れない、空疎なものであったと言わざるを得ないものでした。日露戦争に対する認識が育鵬社版教科書のそれと酷似していたのも、個人的には気になったところです。

 教科書採択では、大田区や今治市で育鵬社版の採択継続を阻止できましたが、大阪市などで新規採択を許してしまいました。大阪市では帝国書院版を補助教材として配布するそうですが、これ自体、大阪市教委の「うしろめたさ」の表れに他なりません。

 8月30日、国会周辺を12万人を超える人々が囲んで、「安全保障」関連法案の廃案を訴えました。安倍首相は多くの国民の真摯な声に謙虚に耳を傾けるべきです。法案の行方は、本号がお手元に届く頃には定まっているでしょうが、その日まで廃案を求め続けていきたいと思います。

『歴史評論』784号に寄せて

 戦争法案に他ならない「安全保障」関連法案の審議は、六月末現在、衆議院安保法制特別委員会で行われています。殆どの憲法学者が違憲と断じ、複数の世論調査で反対意見が多数を占めるにも関わらず、法案通過を狙って、安倍政権は国会会期を延長(戦後最長だそうです)しました。「戦後七〇年」の年が、後世から振り返ってみて、「新たな戦前」の画期だった、ということのないよう、私たちに出来る運動には可能な限り取り組まなければ、との思いを強くしているところです。

 六月二八日には、「シンポジウム 歴史教科書 いままでとこれから Part」が開催されました。会場となった東大農学部の教室は開始時刻にはほぼ一杯になり、追加の椅子を用意しなければならないほどでした。報告の中では育鵬社版教科書を使った模擬授業が大変興味深く、同社版教科書叙述の狙いが浮き彫りにされただけではなく、それに依拠した授業実践が現実の中学生に与える影響を想像して、戦慄すら覚えるものでした。

 同社版(とあわせて自由社版も)教科書採択の拡大をいかに阻止し、縮小させていくか、「安全保障」法制の実現阻止とあわせて、取り組むべき課題の多い夏になりそうです。

『歴史評論』783号に寄せて

ゴールデンウィークが終わるやいなや、安倍内閣は、「平和安全法制」と称する、自衛隊の海外での武力行使を可能にする法案を国会に提出しました。現行憲法のもとで、このような事態がまかり通ることに、まず怒りを禁じ得ませんが、その国会での党首討論の中で、安倍首相が、ポツダム宣言を事実上読んでいないと解しうる発言をしたことにも驚かされました。

 本当に読んでいないのであれば、首相としての「知的な資質」が問われかねませんし、中身を知りながら敢えて「つまびらかに読んで」いないと発言したのであれば、公の場で自らの戦争観を糊塗しようとした不誠実な態度であったと言わざるを得ません。安倍首相は、中学生か高校生の時に、ポツダム宣言のことを「つまびらかに」教わらなかったのでしょうか。首相の発言は、彼の恩師に対しても不誠実なものと言えるでしょう。

 話が飛躍しますが、歴史認識の形成と教育との関わりを考える上でも安倍発言は「意味」がありそうです。奇しくも今年は、中学校社会科教科書の採択にあたります。六月二八日に東大で開催される教科書シンポには、歴科協からも報告を準備します。多くの方の来場をお待ちしています。

『歴史評論』782号に寄せて


新年度に入り、私の勤務先でも多くの新入生を迎えました。本来であれば、一年で最も心浮きたつ季節なのですが、今年の場合は、そうも言っていられません。私自身が高校生であった三〇年前であれば、およそ考えられなかったような事態が、それも複数同時並行的に進行しているからです。

 
「事態」の一つめは、安倍政権が昨年強行した集団的自衛権行使を容認する閣議決定を受けての「安全保障」法制の「整備」です。いわゆる統一地方選挙の結果も、それを押しとどめるものではありませんでした。二つめは、来年度から中学校で使用される教科書の検定結果です。新聞報道等によれば、安倍政権が昨年定めた新たな「検定基準」が、多くの教科書の叙述に影響を与えているようです。三つめは、政府を批判するようなテレビの報道内容に対する、政権側の異様なまでの「介入」と、それに対して報道機関側が毅然と対応できないでいることです。放送メディアの「委縮」こそ、政権側の狙いそのものに他ならないはずなのですが。


 高校生の頃何となく期待していた「未来の日本」とは程遠いこの現実に、歴史を学び教える者としてどう向き合えば良いのか。心浮きたつべき季節に、悩みは深まるばかりです。

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