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『歴史評論』編集長つぶやきブログ(編集後記より)

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労働者文化を考える

文化とか思想という語は、何か高尚なものを連想させるところがあります。そして、その担い手は知識人や上層階級が想定されがちです。そこには、自分の言葉で自らの記録を残さない人びとが文化や思想に関わることは難しい、との思い込みがあるのではないでしょうか。近代日本の労働者文化を扱う今号の特集は、それがいかに思い込みであるかを明らかにしています。と同時に、文化という語が多義的な内容を持つものであることに注意が払われるべきではないか、との感想を私は持ちました。もちろん、研究史を振り返ってみると、民衆文化・民衆思想という枠組みが提起され、研究対象とされるのはいまに始まったことではありません。それらの研究成果は現在までに豊富に蓄積されており、議論を通じてその分析方法も鍛えられてきました。そこでは、生活という語を立脚点に、人びとの存在形態の意味が解き明かされてきたように思いますが、今号の諸論考を通じて、民衆文化の内容にも多様性があり、生活様式とともに労働様式からも立ち上げて民衆文化を豊かに描く必要があることに改めて気づかされます。民衆文化を考える際にも、一括りにしない視座が求められるということなのでしょう。

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「王家」特集から考えること

長い間何も変わらずに連綿と続いているものは、いわば空気のようにその存在すら疑われません。それが人知では計り知れぬものであったとすれば、人間がどうこうする筋合いのものではありませんから、何か問題があったとしてもそれを変えようという気分さえ起こらないでしょう。しかし、長い間変わっていないと思い込んでいたにすぎないとすれば、それは永遠不滅のものでなくなります。そして、そこに内包されている矛盾や問題を意識しながら、どのような契機でどんなふうに変化してきたのかを考えることは、人間の力ではどうすることもできないこととして、宿命のように受け入れてしまっていることを変えようとする原動力となります。「王家」をキーワードに中世日本の権力構造を考えようとする今号の特集は、一見連続しているように見える天皇の存在について、それぞれの時代の国家・社会の構造にそくして検討しなければならないことの重要性を改めて思い起こさせてくれます。近年の歴史学は、時代を跨ぐ連続性も意識する傾向が強くなっていますが、人の手が加わったものには超歴史的な存在などほとんどないことを、人びとに向かって喚起するのが歴史学の使命と心得るべきでしょう。

通史シリーズの意義

学問の社会還元は当然のことですが、歴史学の場合、通史シリーズというジャンルが歴史研究の成果を世に問う役割を果たしてきました。同時に、通史シリーズは個別の歴史研究が他分野史と突き合わせて矛盾なく位置づけられるかどうかという検証の場でもありました。通史はしばしば理系分野の研究における実験場に例えられます。ですから、通史シリーズにおけるその叙述はもっとも総合性を意識した叙述形態であると考えられています。そして、研究状況の変化に応じて変わってきた通史シリーズの叙述を検討するというのは、史学史を跡づけるというのと同義であることは、先号・今号の特集で明らかでしょう。ただし、グランドセオリーが存在した時代と異なり、現在では何をもって総合的であるかはたいへんな難問になっていることも事実です。通史は個別史の単なる寄せ集めではなく、一貫した見地から全時代を把握しようとするものでありますから、精緻な個別研究が多く発表されている現在の歴史研究では、総合化を可能にする確かな視座が求められます。グランドセオリー喪失後の通史はどうあるべきか、まだ見通しは立ちませんが、総合化のための方法をめぐる議論が喚起されることを望みます。

震災におもう

今号も震災に関することを書きます。先月は、この震災を目の当たりにして、自然の力が人間の歴史を変えてしまう可能性を見た思いがすると書きました。自然が歴史に与える影響について、もっと注意が払われてもよいと確かに思います。それでも、歴史が自然の力だけに左右されるわけでは決してありません。自然災害には人為的な問題をともなうことが多く、被災した原子力発電所から漏れ出した放射能の問題は人災そのものです。これに関して様ざまな情報が飛び交い、人びとの生活に深刻な影響を与える風評被害を生んでいます。どの情報が正しくてどの情報が誤りなのか判断に迷う人も少なくありません。しかし、今回の騒ぎではっきりしたことがあります。それは何かを完璧に管理するということは不可能であるということです。完璧に管理されなければ危険な核兵器と原子力発電に象徴されるように、核時代の現代はあらゆることを管理しようとする時代であることはつとに指摘されています。国旗・国歌への服従を踏み絵とした愛国心の強要はその最たるものでしょう。原発事故をめぐる今回の騒動は、そのような管理志向の時代に対して、これでいいのかとの疑問を投げかけているように私には思えます。


(事務のHです。3月11日から2ヶ月半が経ちました。政府は原発の警戒区域の一時帰宅を認めましたが、近隣にお住まいの会員の皆さんはご無事でしょうか。お送りした『歴史評論』が、今わたしの手元に戻ってきてしまいました。どうかご無事でいらっしゃることをお祈りしています。編集長も書いている通り、このどさくさに紛れてか、思想の統制・管理を行おうとする動きがみられます。信教の自由を職務命令違反とすり替える強権的な条例には、どうしたっ
て賛同できません。)

お見舞い申し上げます

このたびの地震で被災されたみなさま、心からお見舞い申し上げます。次つぎと伝えられる惨状を目の当たりにして茫然とするばかりです。それにしても、自然の巨大な力の前では人間はなんと無力なことでしょう。東北地方の太平洋岸に暮らす皆さんはどこよりも津波の脅威をよく知っていて、過去の教訓から高い防潮堤を築いていたといいます。今回の津波はそれをやすやすと乗り越えるものでした。
従来の歴史学では、自然界の影響があったとしても、人為的な問題や矛盾のほうを重く見る傾向が強かったように思います。しかし、今更ながら思うのは、自然が人びとの営みに与える影響を無視することはできないということです。その場合でも、もちろん人為的な問題を意識する必要があるとは思いますが、千年に一度といわれる今回の巨大地震には、自然がストレートに人間の歴史を変える可能性を見た思いがします。歴史学が人びとの幸せのためにあるとするならば、私たち歴史学徒は強大な自然の力がもたらした、このような未曾有の事態に何ができるでしょうか。取り急ぎ史料ネットからの呼びかけを本号に掲載します。今回の編集後記は、大会特集号のために準備していたものを急遽差し替えました。



※史料ネットからの呼びかけについては、以下をご参照ください。       
wwwsoc.nii.ac.jp/rekihyo/siryonet_bokin.html
  

(事務のHです。いまなお余震がやまず、被災地の皆様のご心労を思うと言葉が見つかりません。歴史学に何が出来るのか、何をすべきなのか、歴史資料ネットワークが最初に声をあげてくれました。大切に伝えられてきた家族や地域の記憶を守るこの活動に、歴科協も協力していきたいと思います。)

なぜ歴史を学ぶのか

なぜ歴史を学ぶのか。歴史を学ぶというのはどんな意味があるのか。繰り返し学ぶ意味を問われる学問はほかにありません。いま目の前にある問題を解決するために、学んですぐ役に立つと思われている〝実学〟が、その学ぶ意味をあまり問われないのとは対照的です。歴史を学ぶ契機も意味も、世代差や個人の事情などによって違うでしょうから、それを断定的に言い切ることはできませんが、あらゆるものが相対化される現代では、何のために歴史を学ぶのか、ますます議論しにくくなってきているような気がします。しかし、歴史学の歴史を振り返ると、この問いを問い続けることがいかに大事なことであるかがよくわかります。歴史学の先人たちがどんな思いで自らの議論を鍛え上げたかを知ることは、同時代との緊張関係のなかで歴史に向き合うことの重要性を改めて思い起こさせてくれます。と同時に、歴史学がその時代の様ざまな制約にも規定されるというものであることを痛感せずにはいられません。史学史は歴史学徒にとって、いまがどんな時代であるかを意識するための有効な手段になりえます。そこで、本誌上において史学史に関する新しいジャンルを設けることを考えています。乞ご期待

(事務のHです。今回はブログの更新が随分遅れてしまい、申し訳ありません。先月の大震災後のバタバタで、全体の業務が押しておりました。あの地震で被災された全ての皆様、関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。歴史科学協議会では、歴史資料ネットワークの募金の呼びかけに賛同し、会WEBサイトにて以下の
お願いをしております。ご協力いただけましたら幸甚に存じます。)
「東北地方太平洋沖地震(東北・関東大震災)による被災歴史資料保全活動の
現状と支援募金のお願い 」 
wwwsoc.nii.ac.jp/rekihyo/siryonet_bokin.html




近世村落史研究によせて

いま、孤独死が増えているといいます。それは、地域が共同体としての機能を失いつつあることの反映と見る人もいます。かつては克服すべき封建遺制の代表とされた村共同体が、近年の村落史研究において、人びとが生きるためのセーフティネットの機能を内包するものとして再評価されつつあるのは、そうした現代社会の問題を意識しているからなのでしょう。村の共同性は個人の自由を束縛する共同体規制として、否定的に評価された時代と比べると隔世の感があります。ただし、共同体規制か、セーフティネットか、という二者択一的な議論は正しくないように思います。近世の村に生きた人びとにとって村の共同性が救いだったのは、この時代が単独で生活するのに厳しい時代であったことを意味しており、両者は村の機能としてのコインの裏表であったということなのではないでしょうか。だからといって、孤独死が増えている現代社会において、共同体規制を強めるべきだというのではもちろんありません。それは、共同体規制という負の側面を無視したところに立脚した意見だからです。個人として尊重されつつ、人びとが安心して生活できる仕組みはどうあるべきかという議論が必要です。

(事務のHです。今回は3月号の特集にちなんで、地域の共同体のお話でした。新聞でも毎日のように「孤独死」や「無縁社会」という言葉を目にします。「無縁」はもう都市部に限ったことではないようですね。一方、非常に地縁が濃く、地域が共同体としてガッチリ機能しているところもあります。私の地元などはまさにそれで、寄合、互例会、無尽などが頻繁に開催・組織され、冠婚葬祭も近所で互いにお手伝いして執り行うという・・・。相互扶助の面では大変心強いのですが、その分縛りがきつく、結構大変です。共同体が近世と比較してどのように変化したのか、編集後記をヒントに3月号を読んで勉強したいと思います。)

「学際」について思う

学際という言葉は、いまや聞かない日はないくらい、学術研究上では当然のこととなってきています。歴史学に限らず、学問はその分野だけでは成り立たず、隣接諸分野どうしで相互に支え合ったり、批判したりして発展していくものなのだろうと思います。このような学際的研究は、その意義について一般論としては理解できても、個別分散化が著しくなった現代の歴史学では議論が飛躍・拡散する危険性も高く、私などは他分野の研究者と議論することを躊躇してしまう傾向にあります。そうした態度がいわゆる学問のたこつぼ化を招き、いっそうの分散化を促すという悪循環に陥ってしまうということなのでしょう。しかし、もともと歴史研究と歴史教育の不可分性を重視して始まった戦後歴史学は、学問は市民とともにあらねばならないとの認識をもっていたという点で目配せしていた範囲は広く、総合性を強く意識していたものだったように思います。そうだとすれば、近年、学際的研究の意義が繰り返し強調されるのは、戦後歴史学が大事にしてきた総合性というものが失われていることへの警笛として受け止めるべきなのかもしれません。本号の諸論考から、そのようなことを考えました。

(事務のHです。2月号では、人類学や経済学の視点から論究する特集を組んでいます。
みなさんはどのように読まれましたか?「学際的」といえば、先日"文学者からみる大逆事件"という趣旨のシンポジウムに行ってきました(明星研究会主催「文学者の大逆事件」)。一般市民向けに開催されたもので、作家、文学研究者、歴史愛好家、一般市民と様々な方が発言し、なかなか興味深かったです。歴史学、政治学、文学e.t.c・・・と様々なアプローチがあるんですね。事件を多角的に見ることができ、「学際」を実感したのでした。)

決意

本号から、本欄を担当することになりましたO橋と申します。編集幹事のS・Kさん、編集実務のK・Yさん、および編集委員のみなさんとともに、編集作業にあたっていきますので、どうぞよろしくお願いします

さて、戦後歴史学と現代歴史学の定義や画期をどのように考えるかはさまざまな見方があるでしょうが、発展段階論への懐疑を底流とした歴史学の動揺は、その画期の指標の一つになりえるのではないでしょうか。そうだとすれば、一九八〇年代に歴史学を志し、九〇年代にかけて大学院時代を過ごした私たちの世代は、研究活動の開始当初から、発展段階論というグランドセオリーを前提としない歴史学徒の第一世代ということになります。本誌編集長に私が適任とはとうてい思えませんが、私自身のことながら、そうした世代の編集長誕生の本号が、現代歴史学のあり方を問う特集となったのは、偶然とはいえ不思議な感懐を覚えます。歴史学も新たな段階に入ったということになるのでしょうか。現代歴史学では、あらゆるものが相対化される傾向にありますが、悪しき相対化に陥ることは避けなければなりません。『歴史評論』を、歴史学上のさまざまな議論を喚起する場にしていく決意です

(事務のHです。いよいよ年末押し迫る中、『歴評』では先日1月号が刊行されました。いつものことながら、暦を先取りしてすすめる月刊誌の編集作業は常に時間との闘いでとってもハード。身内ながら、編集担当の三役には頭のさがる思いです。さて、その三役ですが、前月編集後記で予告された通り、「望みうる最強の陣容」(by前編集長)に無事引き継がれました。新たな編集委員、編集三役のもと、『歴評』はまた新たなスタートをきります!引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
今年も残すところあと僅か…どうぞ良いお正月をお迎えください

いつかどこかで

カレーに入れる肉は、西が牛で東が豚が定番なんだけど、その境界は三重県桑名市長島だって、さるテレビ番組でやっていました。カレーに関しては、名古屋はどうも東の文化圏に入るらしいのだけど、こういうのって物によって違いますよね。数日後、11月20日・21日に名古屋で開かれる総会・大会の懇親会で出てくる食べ物について、東西から集まったみなさんの感想をまとめてみると面白いかも…。さて、その名古屋で開かれる総会・大会をもって編集長を解任していただく予定です。そして三年間不出来の編集長を支えてきてくださった編集幹事のK・Sさん、さらに約15年にわたって校正幹事を務めてきてくださったK・Yさんも退任されます。二年前に『歴史評論』制作の責任が校倉書房から歴科協に移り、それまで制作の大黒柱だったY・Hさんの手を離れて、この二年間は三人で必死に頑張ってきました。その体制を次期にどう引き継ぐかが課題だったのですが、どうやら望みうる最強の陣容に引き継ぐことができそうです。どうか応援をよろしくお願いします。

それではみなさん、またいつかどこかでお会いしましょう…
おっと、名古屋で会うんでしたっけね。モーニングが楽しみだな

事務のHです。今月はホームページともに更新が遅れまして申し訳ありませんでした。おかげさまで名古屋大会は盛況に終えることができました。ご協力・ご参加くださった皆様、どうもありがとうございました。編集長から挨拶がありました通り、12月号をもちまして編集三役が交替いたします。ピンチの時にいつも抜群のアイデアと行動力とで突破口を開いてくださったK編集長、どんなに忙しくても常にパーフェクトな仕事っぷり飲みっぷりで沢山のファンがいたK編集幹事、雨の日も風の日も旅行先でも常にゲラと向き合い、『歴評』を支えて下さったK校正幹事、本当にお疲れ様でした。心からの感謝をこめて。)

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