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『歴史評論』編集長つぶやきブログ(編集後記より)

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特集「「奥」からみる近世武家社会」に寄せて

現代において世襲制は批判の対象ですが、過去を振り返れば、権力は長い間、世襲によって担われてきました。そして、特定の血統を継承する家の当主が権力を担う仕組みは、家父長制の家制度と結びついて、男性優位社会の基盤でした。ですから、この問題を歴史的に追究していくことは、ジェンダーを克服するうえで重要な課題であることは明らかです。
今号の特集で扱われた近世の将軍家・大名家は、必ずしも代々順調に世襲制が機能してその地位が継承されたわけではありません。領主の正室に子がいない場合に備えて側室が置かれたほか、側室を含めて実子がいない場合は、同じ血統の家を頼って養子が迎えられました。その血筋ではない家が頼られることもありました。そこまでしなければならないというのは、世襲によってその権力体を維持することにかなりの無理があったということなのでしょう。
いま、皇位継承の将来を慮って女系天皇を認めるかどうかが話題になっています。しかし、世襲制と、男女同権社会の基盤となる一夫一妻制とが矛盾するものである以上、世襲によって継承されることが当然とされる制度そのものの是非について、もっと議論があるべきではないでしょうか。


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第45回大会報告特集 「世界史認識と東アジアⅡ」によせて

近年しばしば、日本列島を取り巻く東アジアの国境問題が話題になります。周辺諸国と日本との間で、それぞれ領有権をめぐって主張の食い違いが生じており、場合によっては、当該周辺地域で生活している人びとの安全が脅かされる事態も起こっているとされます。国境問題はナショナリズムを喚起する契機になりやすく、実際、そうした問題が注目されるほどナショナリズムを煽る言説が溢れます。しかし、歴史的な経緯を検証してみれば、いま問題となっているいくつかの国境問題はそれぞれ事情が異なっており、これらをすべて一律に考えることはできません。さらに巨視的にみれば、こうした国境問題が深刻な問題として立ち現れたのはおおよそ近代以降であることにも留意が必要ではないでしょうか。
そもそも前近代は所有の観念が近代以降とは異なっており、そうした歴史から学ぶとするならば、何が何でもどちらかのものにしなければならないという発想そのものを相対化するべきでしょう。とはいえ、現実の問題としての国境問題を解決するにはそう容易いことではないことも確かです。
「世界史認識と東アジア」という大会テーマは、東アジアの矛盾と共同の可能性をどこまで明らかにできたでしょうか。

特集「歴史をどう学ぶか」に寄せて

私の記憶が確かならば、高校生のころ「君が代」を歌った記憶がありません。ごく普通の県立高校でしたが、私の母校ではそのころ、入学式や卒業式のプログラムに「君が代」斉唱が入っていなかったのだと思います。それが私の記憶違いだったとしても、一九八〇年代までは全国的にも、「君が代」斉唱を実施していなかった学校が少なくなかったのは間違いありません。そのことの意味について、その当時はもちろん、高校卒業後もしばらくは考えたことはありませんでした。しかし、私は歴史を学びつつ、学習指導要領の改訂や国旗・国歌法の制定をめぐる議論を知るなかで、「君が代」をめぐる問題の意味を理解するようになりました。近年、良心的な教員にとって、卒業式・入学式のシーズンは重苦しい季節となっています。大阪の高校では、教職員がきちんと歌っているかどうか、管理職が口元までチェックしていたことが報じられました。こうなったらいっそのこと、最初の出だしの「き」を「た」に替えて歌ったらどうか、などと妄想したりしますが、どんな歌にしたところで国歌は現代版の踏絵となる可能性があります。歴史を学ぶとは、このような現代の諸問題をあぶり出すことでもあります。

特集「現代アメリカの出現と暴力」によせて

暴力と無縁な歴史は地球上のどの地域においても存在しない、というのは確かなことかもしれません。実際、歴史の教科書は暴力の事実で溢れています。暴力は人間社会にとって、回避することのできない宿命ということになるのでしょうか。私の答えは否です。個人の暴力は人類が生まれたときから存在したかもしれませんが、集団的な暴力は農耕社会の登場とともに発生したというのが通説的な理解でしょう。世界史的に農耕の開始がおおよそ一万年前であったとすれば、人類の登場が数百万年前といわれていますから、戦争のような集団的暴力の登場は人類の歴史全体から見ればつい最近のことになります。そうだとすれば、人間社会にとって、暴力は避けられないものだと考える必要はありません。暴力を人間社会の宿命とは考えず、暴力の歴史性を考えること、すなわち、それぞれの時代・地域の暴力の固有性について考察を深めることが、どうしたら暴力を回避することができるかという道筋を探り当てることに通じるものと私は信じます。
今号の特集は、現代世界における暴力の淵源を、20世紀初頭のアメリカ合衆国における暴力に求めることができるのではないか、との仮説のもとに編まれています。活発な議論を期待します。
 

特集「近世日本の治者の宗教、民の宗教」によせて

歴史研究の主要な対象やテーマはそのときの時代状況によって変化するものである、というのはその通りでしょう。私が歴史学を学び始めたころは、宗教をめぐる問題を卒業論文のテーマにしようとする者は、それほど多くはなかったように思います。もちろん戦前以来、宗教史の研究がまったくなかったわけではなく、そのなかには重要な研究成果や問題提起があったことも確かな事実です。しかし、本質的かそうでないかというような議論の方法のもとでは、宗教をめぐる問題を正面から扱おうとする空気は希薄だったのではないでしょうか。宗教をめぐる問題が積極的に取り上げられるようになった現在と比べてみると、右のようなかつての状況は隔世の感があります。それは、経済史を基軸とする発展段階論への懐疑の気分が充満するなかで、宗教が絡んだ紛争・事件とともに宗教から得られる癒し・安寧も注目されるという、現代の時代状況を映し出しているということなのでしょう。
日本近世史における宗教問題を扱う今号の特集は、そうした研究動向の延長上に位置づくものです。人間の営為のすべてを視野に入れ、総体としての歴史像を議論するためには、宗教をめぐる問題は無視できません。

特集「日米同盟と憲法9条」に思う

いつの頃までであったでしょうか。どんなに反動的な状況になろうとも、二〇世紀前期のような時代に後戻りすることは考えにくい、と私は高を括っていたところがありました。それは、日本国憲法の第九条と改定前の教育基本法の存在があったからです。これらには、多くの犠牲を伴いつつも長い時間をかけて到達した普遍的な真理があるということを、歴史学の成果から私は学びました。そうした精神を大事にしている限り大丈夫だと思っていたのです。しかし、教育基本法が改定され、その一角が崩されたいま、ひょっとすると近い将来思いも寄らない事態が起こるかもしれない、との想いが私に重くのしかかってきています。それだけに、憲法九条は私たちが未来に向かって継承しなければならない最後の拠り所となった、との感を強くします。
こうした状況に対して、いま私たちに何ができるでしょうか。立ち向かわなければならない相手の大きさと、自分のできることの小ささとを見比べて情けない気分にもなりますが、嘆いているだけでは何もしないことと同じであるばかりでなく、現在の風潮に荷担することにもなります。今号を読みながら、傍観者には決してなるまいとの誓いを新たにしました。

事務のHです。本年もどうぞよろしくお願いいたします
年が明けて、寒波がやってきましたね~。
体調管理に気をつけたいところです。
昨年、歴科協では2つの声明をだしました。中学歴史教科書採択に関する声明、そして「日の丸」常時掲揚・「君が代」斉唱時起立条例の強行可決に抗議する声明です。教育に政治が介入し、罰則をもって思想を強制する。そんな時代がかつてあったこと、その悲劇を二度と繰り返してはならないことを、私たちは歴史から学び知っているはずです。なのに何故?と、憤りともどかしさを感じずにはいられません。
絶対に憲法9条を手放してはいけない編集長の誓いにも励まされ、私も思いを新たにしています。沖縄基地問題も含め、日米同盟、9条ににどう向き合っていけばよいか、今特集号から学びたいと思います。

特集「世界史論の現在」を読んで

いうまでもなく歴史学は過去の人びとの営みを明らかにする学問ですが、史料をもとに実証した事柄にはどのような意味があるのかという点については、全体を見渡すような広い視野が必要です。その枠組みをどのように設定するかは、歴史学を取り巻く社会状況や歴史学徒それぞれの問題関心によっても異なります。
近代に成立したにすぎない国民国家の枠組みを相対化し、一国史観を克服することが要請されて久しくなりますが、アジア史の文脈のなかで日本史を考えようというのはその一環でしょう。比較史をテーマとした国際シンポジウムも同じ意図から行われます。このようなスケールの大きな議論は広く世界を鳥瞰できるという意味で魅力があり、実際確かに一国史観を克服できる可能性を持っているものと思われますが、そのスケールが大きいだけにそこには落とし穴もあるような気がします。単に複数の国の問題を扱えば一国史観を克服できるというのは錯覚で、かえって国家の独善的な史観を補強する場合もあるのではないでしょうか。
それを回避するためには、どの時代、どの地域を扱うにせよ、生活者にとっての視点を常に念頭に置くことが大事なのではないか、と今号を読みながら私は考えました。

「特集/南北朝正閏問題100年」を考える

高校(中学校)教員だったとき、授業に際して私がもっとも心がけたことは、できるだけ現在の歴史研究の成果を反映させようということでした。もちろん、すべての研究に目配せすることはできませんし、限られた時間数のなかで高校生や中学生にもわかりやすい話にしなければなりませんから、実際の授業で最新の研究をどれほど組み込めたかどうかは心許なく思います。それでも、通史シリーズや『歴評』の特集などを手がかりに、歴史学のおもしろさを伝えようという熱意をもって授業に臨んでいたとの自負はあります。歴史研究と歴史教育との連携を実践しようとの思いがその根底にあったといえますが、研究上の議論をそのまま高校などの授業に持ち込んでも、生徒は混乱するばかりであることも事実です。歴史教育の現場では、歴史研究における議論をふまえつつ、ある意味で大胆な組み替え、ないしは取捨選択が必要です。歴史研究と歴史教育とは、やはりまったく同じものではないということなのでしょう。右のことはもちろん、南北朝正閏問題のときの文脈とは大きく異なりますが、その後の不幸な歴史を鑑みれば、歴史研究と歴史教育の連携のあり方を考えるというのは永遠のテーマです。

戦争アーカイブズを考える

日本では、戦争を体験したことのない世代が多数をしめるようになって久しくなりました。今後、戦争がなければそうした傾向はもっと進みます。戦争を直接知らない世代が増えるというのは、戦争のない状態が続くという意味では悪いことではないと思いますが、それを勉強しないと知らないままになるという意味では、そのまま放って置くわけにはいきません。戦争の経験を長く後世に継承していくためには、戦争の記録を確実な方法で保存・公開していく必要があります。今号の特集は、アーカイブズ学の方法によりつつ、戦争に関する史料群がどのように作成され今に伝わっているのかという観点から、戦争をめぐる問題を考えようとするものでした。史料とは自然に残るものではなく、それを残そうという人びとの意志によって後世に継承されていくものであると思います。さて、今号から「私の原点」という新しいジャンルが登場しました。研究課題の設定はそれぞれの問題関心の差異により多様です。その差異は世代や人生経験などの違いから生まれるものでありますから、特に若い歴史学徒にとって、先学の研究の発心を知るのは、歴史学へのよい先導になるのではないでしょうか。ご味読ください。

光州事件を考える

光州事件が起きたとき、私は高校に入学したばかりでした。日本のメディアでも報道されていた記憶はありますが、隣国の出来事といっても、そのころの私には世界各地で起きている紛争の一つという程度の認識しかなく、当然のことながら、この事件がその後の韓国社会に大きな影響を与えることになるとはまったく想像もつきませんでした。それから三〇年の間、韓国の政治は大きく変化したといわれています。その原点がこの光州事件であったとすれば、韓国の歴史にとってこの事件がどのような意味を持っているかを考えるのは、重要な意味があります。では、いま日本で光州事件を考えることの意味をどう考えるべきでしょうか。近年、一国史的な理解を克服して、アジアという枠組みで歴史を考えることが強く求められています。とすれば、隣国の出来事を隣国の問題とするのではなく、アジアにおける出来事として捉えることが必要とされているのではないか、ということを今号の特集から私は考えました。もちろん、これは光州事件に限られることではありません。現代の歴史学徒は、時間軸とともに空間軸も意識して、人びとの営為の意味を考えることが求められているということだと思います。     

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