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新年度に入り、私の勤務先でも多くの新入生を迎えました。本来であれば、一年で最も心浮きたつ季節なのですが、今年の場合は、そうも言っていられません。私自身が高校生であった三〇年前であれば、およそ考えられなかったような事態が、それも複数同時並行的に進行しているからです。
「事態」の一つめは、安倍政権が昨年強行した集団的自衛権行使を容認する閣議決定を受けての「安全保障」法制の「整備」です。いわゆる統一地方選挙の結果も、それを押しとどめるものではありませんでした。二つめは、来年度から中学校で使用される教科書の検定結果です。新聞報道等によれば、安倍政権が昨年定めた新たな「検定基準」が、多くの教科書の叙述に影響を与えているようです。三つめは、政府を批判するようなテレビの報道内容に対する、政権側の異様なまでの「介入」と、それに対して報道機関側が毅然と対応できないでいることです。放送メディアの「委縮」こそ、政権側の狙いそのものに他ならないはずなのですが。
筆者には、青木氏と親しく会話を交わした経験がありませんが、インタビュー記事掲載のお礼を直接お伝えする機会は、すぐにやって来るものと思っていました。その折りには、お礼かたがた、氏の出身大学に勤務する者として、氏の後輩たちの近世史の研究ぶりについてご報告させていただくつもりでした。
インタビューの中で氏は、「今回の東日本大震災から学んだ事柄から、福島県生まれの近世史研究者の端くれとして何をすべきかをお話します」と語り、最近の災害史研究のあり方に率直な苦言を呈されました。そのような青木氏から、奇しくもインタビューと同じ号の特集企画となった「災害と都市の比較史」の出来ばえについても感想をお聞きするつもりでした。
しかし、そのどれもこれも叶わぬこととなってしまいました。今後しかるべき方々がしかるべき形で青木氏の人柄や業績について語られるでしょうが、まずは個人的痛恨の念をこの覧に記したことをご容赦下さい。謹んで氏のご冥福をお祈りいたします。
「急々如律令」という語があります。漢代の公的命令書の最後に記された語で、律令のように命令が実行されることを求めるものでしたが、やがて道家・陰陽師・僧侶などのまじないや祈祷の際の語に用いられるようになり、日本にも「急々如律令」と書かれた呪符が存在します。古代専制国家の支配統治の手段から祈祷祭祀にまでつながる壮大な歴史の流れが想像されます。
そのような興味深い様相も見られる「律令の変容」が、今月号の特集のテーマです。
川村論文は、中国における律令法の変容について、刑罰を検討対象として考察しています。稲田論文は、服喪制度に注目して日本古代の令継受のあり方を論じ、日本の立法者たちによる唐令条文の取捨選択の実態を明らかにしています。矢木論文は、高麗朝における律の存否をめぐる議論を糸口に、高麗の法制度に関する新たな研究の視座を提供しています。八尾論文は、前近代ヴェトナムにおける律令継受を主題として、アジアの比較法制史に関する貴重な事例分析を行なっています。
内容の充実を確信する本号が多くの読者を得られますように、一つおまじないを。
キュウキュウニョリツリョウ。