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学際という言葉は、いまや聞かない日はないくらい、学術研究上では当然のこととなってきています。歴史学に限らず、学問はその分野だけでは成り立たず、隣接諸分野どうしで相互に支え合ったり、批判したりして発展していくものなのだろうと思います。このような学際的研究は、その意義について一般論としては理解できても、個別分散化が著しくなった現代の歴史学では議論が飛躍・拡散する危険性も高く、私などは他分野の研究者と議論することを躊躇してしまう傾向にあります。そうした態度がいわゆる学問のたこつぼ化を招き、いっそうの分散化を促すという悪循環に陥ってしまうということなのでしょう。しかし、もともと歴史研究と歴史教育の不可分性を重視して始まった戦後歴史学は、学問は市民とともにあらねばならないとの認識をもっていたという点で目配せしていた範囲は広く、総合性を強く意識していたものだったように思います。そうだとすれば、近年、学際的研究の意義が繰り返し強調されるのは、戦後歴史学が大事にしてきた総合性というものが失われていることへの警笛として受け止めるべきなのかもしれません。本号の諸論考から、そのようなことを考えました。
(事務のHです。2月号では、人類学や経済学の視点から論究する特集を組んでいます。みなさんはどのように読まれましたか?「学際的」といえば、先日"文学者からみる大逆事件"という趣旨のシンポジウムに行ってきました(明星研究会主催「文学者の大逆事件」)。一般市民向けに開催されたもので、作家、文学研究者、歴史愛好家、一般市民と様々な方が発言し、なかなか興味深かったです。歴史学、政治学、文学e.t.c・・・と様々なアプローチがあるんですね。事件を多角的に見ることができ、「学際」を実感したのでした。)
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