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いま、孤独死が増えているといいます。それは、地域が共同体としての機能を失いつつあることの反映と見る人もいます。かつては克服すべき封建遺制の代表とされた村共同体が、近年の村落史研究において、人びとが生きるためのセーフティネットの機能を内包するものとして再評価されつつあるのは、そうした現代社会の問題を意識しているからなのでしょう。村の共同性は個人の自由を束縛する共同体規制として、否定的に評価された時代と比べると隔世の感があります。ただし、共同体規制か、セーフティネットか、という二者択一的な議論は正しくないように思います。近世の村に生きた人びとにとって村の共同性が救いだったのは、この時代が単独で生活するのに厳しい時代であったことを意味しており、両者は村の機能としてのコインの裏表であったということなのではないでしょうか。だからといって、孤独死が増えている現代社会において、共同体規制を強めるべきだというのではもちろんありません。それは、共同体規制という負の側面を無視したところに立脚した意見だからです。個人として尊重されつつ、人びとが安心して生活できる仕組みはどうあるべきかという議論が必要です。
(事務のHです。今回は3月号の特集にちなんで、地域の共同体のお話でした。新聞でも毎日のように「孤独死」や「無縁社会」という言葉を目にします。「無縁」はもう都市部に限ったことではないようですね。一方、非常に地縁が濃く、地域が共同体としてガッチリ機能しているところもあります。私の地元などはまさにそれで、寄合、互例会、無尽などが頻繁に開催・組織され、冠婚葬祭も近所で互いにお手伝いして執り行うという・・・。相互扶助の面では大変心強いのですが、その分縛りがきつく、結構大変です。共同体が近世と比較してどのように変化したのか、編集後記をヒントに3月号を読んで勉強したいと思います。)