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文化とか思想という語は、何か高尚なものを連想させるところがあります。そして、その担い手は知識人や上層階級が想定されがちです。そこには、自分の言葉で自らの記録を残さない人びとが文化や思想に関わることは難しい、との思い込みがあるのではないでしょうか。近代日本の労働者文化を扱う今号の特集は、それがいかに思い込みであるかを明らかにしています。と同時に、文化という語が多義的な内容を持つものであることに注意が払われるべきではないか、との感想を私は持ちました。もちろん、研究史を振り返ってみると、民衆文化・民衆思想という枠組みが提起され、研究対象とされるのはいまに始まったことではありません。それらの研究成果は現在までに豊富に蓄積されており、議論を通じてその分析方法も鍛えられてきました。そこでは、生活という語を立脚点に、人びとの存在形態の意味が解き明かされてきたように思いますが、今号の諸論考を通じて、民衆文化の内容にも多様性があり、生活様式とともに労働様式からも立ち上げて民衆文化を豊かに描く必要があることに改めて気づかされます。民衆文化を考える際にも、一括りにしない視座が求められるということなのでしょう。
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今号も震災に関することを書きます。先月は、この震災を目の当たりにして、自然の力が人間の歴史を変えてしまう可能性を見た思いがすると書きました。自然が歴史に与える影響について、もっと注意が払われてもよいと確かに思います。それでも、歴史が自然の力だけに左右されるわけでは決してありません。自然災害には人為的な問題をともなうことが多く、被災した原子力発電所から漏れ出した放射能の問題は人災そのものです。これに関して様ざまな情報が飛び交い、人びとの生活に深刻な影響を与える風評被害を生んでいます。どの情報が正しくてどの情報が誤りなのか判断に迷う人も少なくありません。しかし、今回の騒ぎではっきりしたことがあります。それは何かを完璧に管理するということは不可能であるということです。完璧に管理されなければ危険な核兵器と原子力発電に象徴されるように、核時代の現代はあらゆることを管理しようとする時代であることはつとに指摘されています。国旗・国歌への服従を踏み絵とした愛国心の強要はその最たるものでしょう。原発事故をめぐる今回の騒動は、そのような管理志向の時代に対して、これでいいのかとの疑問を投げかけているように私には思えます。
(事務のHです。3月11日から2ヶ月半が経ちました。政府は原発の警戒区域の一時帰宅を認めましたが、近隣にお住まいの会員の皆さんはご無事でしょうか。お送りした『歴史評論』が、今わたしの手元に戻ってきてしまいました。どうかご無事でいらっしゃることをお祈りしています。編集長も書いている通り、このどさくさに紛れてか、思想の統制・管理を行おうとする動きがみられます。信教の自由を職務命令違反とすり替える強権的な条例には、どうしたっ
て賛同できません。)
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いま、孤独死が増えているといいます。それは、地域が共同体としての機能を失いつつあることの反映と見る人もいます。かつては克服すべき封建遺制の代表とされた村共同体が、近年の村落史研究において、人びとが生きるためのセーフティネットの機能を内包するものとして再評価されつつあるのは、そうした現代社会の問題を意識しているからなのでしょう。村の共同性は個人の自由を束縛する共同体規制として、否定的に評価された時代と比べると隔世の感があります。ただし、共同体規制か、セーフティネットか、という二者択一的な議論は正しくないように思います。近世の村に生きた人びとにとって村の共同性が救いだったのは、この時代が単独で生活するのに厳しい時代であったことを意味しており、両者は村の機能としてのコインの裏表であったということなのではないでしょうか。だからといって、孤独死が増えている現代社会において、共同体規制を強めるべきだというのではもちろんありません。それは、共同体規制という負の側面を無視したところに立脚した意見だからです。個人として尊重されつつ、人びとが安心して生活できる仕組みはどうあるべきかという議論が必要です。
(事務のHです。今回は3月号の特集にちなんで、地域の共同体のお話でした。新聞でも毎日のように「孤独死」や「無縁社会」という言葉を目にします。「無縁」はもう都市部に限ったことではないようですね。一方、非常に地縁が濃く、地域が共同体としてガッチリ機能しているところもあります。私の地元などはまさにそれで、寄合、互例会、無尽などが頻繁に開催・組織され、冠婚葬祭も近所で互いにお手伝いして執り行うという・・・
。相互扶助の面では大変心強いのですが、その分縛りがきつく、結構大変です。共同体が近世と比較してどのように変化したのか、編集後記をヒントに3月号を読んで勉強したいと思います。)
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学際という言葉は、いまや聞かない日はないくらい、学術研究上では当然のこととなってきています。歴史学に限らず、学問はその分野だけでは成り立たず、隣接諸分野どうしで相互に支え合ったり、批判したりして発展していくものなのだろうと思います。このような学際的研究は、その意義について一般論としては理解できても、個別分散化が著しくなった現代の歴史学では議論が飛躍・拡散する危険性も高く、私などは他分野の研究者と議論することを躊躇してしまう傾向にあります。そうした態度がいわゆる学問のたこつぼ化を招き、いっそうの分散化を促すという悪循環に陥ってしまうということなのでしょう。しかし、もともと歴史研究と歴史教育の不可分性を重視して始まった戦後歴史学は、学問は市民とともにあらねばならないとの認識をもっていたという点で目配せしていた範囲は広く、総合性を強く意識していたものだったように思います。そうだとすれば、近年、学際的研究の意義が繰り返し強調されるのは、戦後歴史学が大事にしてきた総合性というものが失われていることへの警笛として受け止めるべきなのかもしれません。本号の諸論考から、そのようなことを考えました。
(事務のHです。2月号では、人類学や経済学の視点から論究する特集を組んでいます。みなさんはどのように読まれましたか?「学際的」といえば、先日"文学者からみる大逆事件"という趣旨のシンポジウムに行ってきました(明星研究会主催「文学者の大逆事件」)。一般市民向けに開催されたもので、作家、文学研究者、歴史愛好家、一般市民と様々な方が発言し、なかなか興味深かったです。歴史学、政治学、文学e.t.c・・・と様々なアプローチがあるんですね。事件を多角的に見ることができ、「学際」を実感したのでした。)
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本号から、本欄を担当することになりましたO橋と申します。編集幹事のS・Kさん、編集実務のK・Yさん、および編集委員のみなさんとともに、編集作業にあたっていきますので、どうぞよろしくお願いします。
さて、戦後歴史学と現代歴史学の定義や画期をどのように考えるかはさまざまな見方があるでしょうが、発展段階論への懐疑を底流とした歴史学の動揺は、その画期の指標の一つになりえるのではないでしょうか。そうだとすれば、一九八〇年代に歴史学を志し、九〇年代にかけて大学院時代を過ごした私たちの世代は、研究活動の開始当初から、発展段階論というグランドセオリーを前提としない歴史学徒の第一世代ということになります。本誌編集長に私が適任とはとうてい思えませんが、私自身のことながら、そうした世代の編集長誕生の本号が、現代歴史学のあり方を問う特集となったのは、偶然とはいえ不思議な感懐を覚えます。歴史学も新たな段階に入ったということになるのでしょうか。現代歴史学では、あらゆるものが相対化される傾向にありますが、悪しき相対化に陥ることは避けなければなりません。『歴史評論』を、歴史学上のさまざまな議論を喚起する場にしていく決意です。
(事務のHです。いよいよ年末押し迫る中、『歴評』では先日1月号が刊行されました。いつものことながら、暦を先取りしてすすめる月刊誌の編集作業は常に時間との闘いでとってもハード。身内ながら、編集担当の三役には頭のさがる思いです。さて、その三役ですが、前月編集後記で予告された通り、「望みうる最強の陣容」(by前編集長)に無事引き継がれました。新たな編集委員、編集三役のもと、『歴評』はまた新たなスタートをきります!引き続きどうぞよろしくお願いいたします。今年も残すところあと僅か…どうぞ良いお正月をお迎えください
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